今日はきれいなお姉さんに心を洗っていただいたので
気持ちよくお勉強しようと思います。
K姫感謝☆
科学技術と政策(Science Technology and Society:STS)
はうちの所属する院の必修クラス。。。
問題調査または検査過程のの不具合、
社会的信用を落とした原因、
問題にかかわる利益団体を見つけるクラスみたいです。
日本のBSE問題のケース。
BES=牛海綿状脳症 ⇒俗にいう狂牛病
bovine spongiform encephalopathy
◎日本におけるBSEの問題
1.1986年の英国BSE問題を専門家を派遣し勉強していたにも
かからず、2001年国内発生時対応が遅く、危機管理体制ができていなかった。
2.関係者が国内発生の可能性を予期していなかった。
・担当者不在による連絡の行き違い、
・研究機関間のコミュニケーションシステムが存在していなかった
・検査キットの使い方に問題があった
・行政担当者が国内の研究者のレベルを理解してなかった
(神里達博、「BSE/牛海綿状脳症/狂牛病にみつ日本の食品問題」
『科学技術社会論の技法』藤垣裕子編、東京大学出版、2005年、117頁。)
◎問題のプロセス(神里、2005年参照)
2001年8月6日に1頭の雄牛が食肉に適さないと
千葉県食肉衛生検査所が診断。
↓
2001年8月15日
独立行政法人・動物衛生研究所で
ウェスタン・ブロット検査後、BSE陰性判明。
↓
2001年8月24日
千葉県家畜保健衛生所、通常の業務で
牛の脳の検査、
脳に空胞発見、
動物衛生研究所に再検査依頼。
国レベルは白、
地方レベルは黒またはグレーと判断分かれる
↓
2001年9月8日
動物衛生研究所で
プリオニクス・テストで陰性
↓
2001年9月10日
動物衛生研究所で
免疫組織化学検査で陽性
同日、農林水産省は確定診断を英国に依頼
・英国の確定診断法は日本の研究者が基礎を作ったもの
↓
2001年9月20日
確定診断発表
・「BSE牛は焼却処分したと発表されていたが、
すでに肉骨粉(にくこっぷん)に処理されて流通していた」
肉骨粉
=牛・豚・鶏から食肉を除いたあとの
屑肉、脳、脊髄、骨、内臓、血液を加熱処理の上、
油脂を除いて乾燥、細かく砕いて粉末としたもの。
豚・鶏の飼料、農作物の肥料、ペットフードの原料となる。
安価で、蛋白質、カルシウム、リン酸質が豊富で高い
栄養価を誇るため、
BSEの問題が起こる前まではよく用いられていた。
参考資料元
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E9%AA%A8%E7%B2%89>
↓
報道
社会的不信↑
牛肉消費は9月後半から急速に低下
牛肉価格低下⇒生産者、関係企業に打撃
◎BSE問題対策に対する問題点
参考資料
高橋正郎「BSE問題の総括と研究者の課題」
『日本畜産学会報74(2)』、2003年、169-175頁。
対策の流れ
2001年10月18日
政府は食肉に供される牛の全頭検査、
危険部分の除去を実施
↓
2001年11月6日
BSE問題に関する調査検討委員会が発足
(=農林水産大臣と厚生労働大臣の私的諮問(しもん)機関
獣医学者3名、
ジャーナリスト3名、
消費者団体2名、
感染症専門家1名、
農業経済学者1名の中立委員10名)
??どうやってメンバー選出したのかチェックしなきゃ!
↓
↓
2002年4月2日
委員会が11回、延べ30時間審議の報告を大臣に答申。
審議はすべて公開、テレビモニターで一般国民が傍聴可能とした
議事録はインターネットで公開した(異例の厳しさ)
⇒両大臣が諮問した事項
①BSEに関するこれまでの行政対応上の問題の検証
②今後の畜産・食品衛生行政の在り方について
⇒報告
・1990年日本は専門家をイギリスに派遣し、
原因が異常プリオンであること、
肉骨粉の給餌によって万円していること、
英国では肉骨粉の牛への給与を禁止していること
を勉強したが
日本では肉骨粉の使用禁止措置はなされず、
英国含む海外の輸入禁止措置もとらず、
肉骨子の処理条件を異常プリオンが死滅するとされる
136度30分という処理条件を厳しくするにとどめた
・1996年4月英国政府はBSEが人間にも伝達し、
若年層でも変異型クロイツフェルトヤコブ病という
回復不可能の病気にかかる可能性を示唆
⇒WHOが反芻(はんすう)動物由来の家畜飼料を
反芻動物に給与しないようにすべての国に勧告
これ以前
⇒①BSE専門家から厚生される私的諮問機関
②公的な農業資材審議会の家畜飼料検討委員会で
肉骨粉使用を議論(農林水産省の説明によれば)
①の私的諮問機関では農林水産省として
行政指導によって使用自粛を提唱
②の委員会では座長が結論をWHOの本文と
各国対応を待ってからと結論を引き延ばした。
1986年本文入手後、1987年米国、オーストラリアが法的に
肉骨粉使用禁止後も委員会再度を開催しなかった。
⇒
委員会再開は2001年BSE国内発生以降
・1998年から2001年「EUステータス評価」開催。
BSEの発生状況やその可能性を評価するもの。
日本もこの評価を依頼。
結果、ヨーロッパですでに発生している国々と
同じ第3ランクへ格付けされた。
当時肉骨粉の輸入が引き続き存在し、
肉骨粉の使用禁止措置が不徹底だったことがその理由。
⇒
??肉骨粉で利益得る企業と日本政府の結びつきあったのかしら?
⇒
2001年6月農林水産省は
評価を不服とし、EUにステータス評価自体の中断を要請。
国内BSE牛登場の50日前。
「EUの報告書案の内容が国民にあらかじめ
知らされ、これらの対策があらかじめ取られていれば、
国内BSE発生時の大きな社会混乱は防げた可能性が高い」
のではないかという報告がでた
・2001年1頭目発生時、
牛が千葉県の屠畜(とちく)場に運ばれてから、
BSE確定まで、46日を要した不手際。
起立不能の牛は獣医によって敗血症と診断、
頭部以外は肉骨粉へ
頭部の検査に陰性、空胞発見、再確認まで半月要した。
行政対応上の問題点、(高橋、2003年、171頁)
・危機意識欠如と危機管理体制の欠落
・生産者優先・消費者保護軽視の行政
・政策決定過程の不透明な行政機構
・農林水産省と厚生労働省の連携不足
◎課題
高橋氏(2003)によれば
リスク評価機関の条件とは、
EU委員会が『食品安全白書』で指摘する
独立性(independence)
卓越性(excellence)
透明性(transparency)
である。
2003年発足の日本の「食品安全委員会」は
政治、行政、企業、利害眼帯から
どれくらい独立性を保てるのか?
透明性は確保できるのか?
リスク評価をだれがリクエストするのか?
◎ここまでBSEを学習した感想
なさけないのですが、
率直にこのような文章をかける、分析力がある学者さんを
まずすごいと思いました。
自分は、
利害団体を詳しく知りたいですが、
こういう資料ってまとめて出てこないと思うから、
推理の部分も必要なのかなと思います。
2010年7月10日 星期六
2010年7月4日 星期日
農村問題
わたしは国家と社会という
クラスをとっていて
授業内容を聞くごとに
なぜ、日本の東北の農村は
過疎化とか「おくれている」ところに
なっているのか理解できてきた。
耕作放棄地のことを
書いたら、日本の農業の問題が
いろいろかけるかな?跡継ぎ問題とか
と思ってましたが、
農村問題という問題の説明みて、
これがわたしの知りたかったことだ、
とこの文章かかれた谷口教授の文章の
整理の仕方に参りました。
農村問題
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%BE%B2%E6%9D%91%E5%95%8F%E9%A1%8C/
以下ウェブから文抜粋
農村問題(のうそんもんだい)
[ 日本大百科全書(小学館) ]ヘルプ
rural problems
農村問題とは農村地域(集落)における社会問題の総称である。したがって、これを理解するためには、以下の点についての予備的検討が必要である。第一は、いかなる地域(集落)を農村(村落)と考えるかである。第二は、農村は都市と対になって地域(集落)を理解する概念である以上、農村問題の出現は都市問題の出現と期を一にしていることをどうみるかである。第三は、農村は農民を主たる居住者とする地域であり、農業を主たる産業とする地域でもあることから、農村問題は農民問題、農業問題と密接不可分の関係にたち、しばしばこれらと同義に取り扱われてきたが、その区別をどう考えるかである。
目次
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農村問題
1.
農村と都市の区分
2.
農村問題と都市問題
3.
農業・農民・農村問題
4.
日本の農村問題
第二次世界大戦前、 第二次世界大戦後
1. 農村と都市の区分
農村の指標としてはこれまで、たとえば職業(主たる住民が就業する産業が農業)、人口密度(住宅密度、宅地率が低い)、土地利用(農林業的利用が支配的)、行政上の市町村制(町村を農村とする)、人口規模(人口1万人以下の自治体)、生活様式(自然的条件との結合が強い)、住民の等質性、非移動性、相互関連の強弱など多様なものが考えられ、それらの組合せによる定義が示されてきた。しかし、それらの指標自体もけっして一義的ではありえない。たとえば、行政区域たる市をとると、静岡市は中心市街地から約80キロメートル離れた南アルプスの間ノ岳(あいのたけ)(3189メートル)までが市域であり、市域に多くの農村を含んでいるといったぐあいである。また、多くの指標を組み合わせた定義となるとかなり複雑にならざるをえない。そこで、農村のもっとも単純で明快な定義としては上述のように、農業に従事する居住者が中心の地域、とすることが妥当であろう。他の指標はこれに従属すると考えられるからである。
2. 農村問題と都市問題
人類の定住は農村において始まったが、農村しか存在していない状態では農村という集落を特別に認識する必要はなかったし、農村問題が発生したということはできない。しかし、社会的生産力の発展に伴って、政治的支配者や宗教者、商工業者などが集住する都市が生まれ、農村とは異なる集落が認識されるようになるとともに、社会問題としての都市問題、農村問題が発生したということができる。とはいえ、封建社会の末期に至るまでは社会における農村の割合は圧倒的であって、都市を含めた社会全体が農村的色彩を帯びていたから、都市問題はもちろん、農村問題も固有の問題として認識されることは少なかったのである。
しかし、資本主義の形成はこうした状況を一変させた。第一に、人口が都市へ急速に集中するのに伴って、それまでの農村的社会(農村が支える都市)から都市的社会(都市に従属する農村)への転換が始まった(都市と農村の関係は一層緊密になった)。第二に、社会の富が都市において急速に集積されたのに対し、農村の経済発展が遅れることになった。第三に、農村自体が都市化の波に洗われ、変容を始めた。こうした変化に対応して、都市問題、農村問題が固有の課題をもって発生することになったのである。
第一の領域に関しては、それまでに経験したことがない都市への急速な人口集中に伴って、住宅・衛生・治安問題(生活にかかわる問題)を出発点として、次々に固有の都市問題が発生した。そして、その裏面では、離農、離村による人口流出によって、過疎や集落の消滅といった農村の存亡にかかわる農村問題が発生することになった。第二の領域に関しては、大局的には工業の発展に対する農業の発展の遅れによって発生した産業問題=農業問題が、農民の貧困=農民問題、農村の貧困=農村問題として現れたという性格を有しているとみることができる。そして、第三の領域に関しては、農村自体が都市に接近してゆく過程で、都市化しきれないために、社会習慣、社会関係などにおける前近代的要素の残存、生活基盤などの社会的インフラストラクチャー(基盤)整備の遅れ、これと密接不可分の教育、文化、医療などの社会的サービス供給の遅れ、といった農村問題が発生すると考えられる。このように、農村問題は社会の近代化過程で都市問題とメダルの両面の関係に立ちながら固有の問題として発生している点を理解することが重要である。
3. 農業・農民・農村問題
固有の農村問題が近代化の過程で発生したと同様に、固有の農民・農業問題もこの過程の所産である。しかし、すでに述べたことからも明らかなように、農村問題は農業問題や農民問題と重なり合うものの、それとは一定の距離をもったものとして理解すべきである。ところが、これまでは三つをほとんど区別しない方が多かったといえる。たとえば、農業経済学者の栗原百寿(はくじゅ)(1910―55)は農業(農民・農村)に関する経済的・政治的・社会的問題の総括が農業(農民・農村)問題であって、三者は同一だとした上で、農業問題を地域的にみたものが農村問題、主体的にみたものが農民問題であり、農業問題は、農民問題、農村問題を含んだ総合的な概念だとした。たしかにこうした見方は、農村には産業としては農業しかなく、農業の担い手がことごとく家族経営とその下の農民であり、農村住民がすべて農民である場合には妥当であろう。しかし、今日では農村の産業には農業以外に多様なものが含まれている(農業自体も大きく変容している)。また農業経営のなかには法人経営も含まれ、農業労働者もまた農業の担い手となっている。さらに、農村住民が非農業者を含むとともに、農民自体も兼業化などにより非農民化を強めている。こうした実態を考慮すれば、農業=農民=農村を等号で結び、そこでの社会問題を同一であるということはできない。
したがって、今日では、農業=農民=農村がほぼ等号で結びうる農業発展の段階(全社会的には重化学工業段階まで)と、それが等号で結びえなくなる発展段階(マイクロエレクトロニクス工業段階以降)とに分けて農村問題を考察することが望ましいといえよう。前者においては、農村問題はより基本的な農業問題に包摂されつつ、その地域的な側面に強くかかわるものであるが、これに加え、地域社会の存亡や地域社会における社会習慣、社会関係における前近代的要素の残存といったある程度独自の問題領域をさしている。後者においては、個々の農民家族の経済的貧困問題としての農業問題が一定程度解決されたことを前提として、社会的インフラ整備や社会サービス供給における都市に対する後進性に由来する生活面での貧困、農業以外の他産業を含めた地域経済の衰退に伴う定住人口減少と地域社会の存亡といった新たな領域が大きな比重を占めているということができる。
4. 日本の農村問題
第二次世界大戦前
日本は今日の先進国のなかではもっとも遅く近代化を開始しながら、列強の植民地にされる経験を一度ももたないまま、もっとも早いスピードで近代化を成し遂げた国に属している。こうした近代化の特殊性に規定されて、第二次世界大戦前には以下のような農村問題が構造的に存在していた。
(1)富国強兵に象徴される上からの近代化は、天皇制を頂点とし、長男一子相続に基づいた家父長制的家族制と村落規制に支えられた前近代的な社会関係を広範に温存させながら展開した。そこでは地主、自作農、自小作農、小自作農、小作農という村落内の階層秩序と農民家族における成員間の不平等な関係が支配的であった。この封建遺制の下で自作農に強兵の源泉としての役割が期待された。
(2)高額高率現物小作料に基づく地主・小作関係の下で、低所得にあえぐ小作農は製糸女工などの出稼ぎ形態の家計補充的低賃金との結合でやっと最低生活が維持できる状態であった。高額小作料と低賃金の相互規定関係に示される農村の貧困の下で農村には過剰人口が滞留し、次三男労働力が農村・都市雑業層として低賃金労働市場の裾野を構成していた。
(3) 輸出の中心は国内養蚕業を基盤とする製糸・絹織物工業(生糸が中心、輸出先は欧米)と、インド、アメリカからの輸入綿花を基盤とする綿紡績・織物工業(綿織物が中心、輸出先は東・東南アジア)であった。綿紡績は輸入技術に基づく機械制大工業によって牽引(けんいん)されたが、その他では問屋制的在来工業が広範に残存して(二重構造)、低賃金が支配的であり、花形農業部門であったにもかかわらず、農家女性の低い地位に由来する過重労働で支えられた原料繭価の低位性=低農業所得と併存していた。綿織物に輸出の重点が移ると、東アジア市場の維持、確保のために日本が軍事的進出を行う契機となった。
(4)こうした軍事力を支えるために外貨が重点的に投資され、輸入技術に依存する軍需産業を軸とした重化学工業基盤が強力に創出される一方、米を軸とした食糧自給によって外貨の節約が目ざされた。地主制は財政基盤たる地租を確保する手段として認知され、戦前の権力の一角を構成したが、日中戦争への突入とともに、農業生産力発展の阻害要因たることが明らかになり、弱体化が目ざされた。
なお、戦前に農村問題が強く意識された時期や運動として、1890年代末から経済官僚の前田正名(まさな)によって策定が促進された町村是(ちょうそんぜ)運動(松方デフレによる農村の疲弊と地主制確立への対応としての農村再興運動)と、昭和恐慌時の1932年(昭和7)から始まる農村経済更正運動(農家次三男の満州移民政策に結合)をあげておく。
第二次世界大戦後
1946年に始まる農地改革を起点とする一連の戦後改革により、農村における多くの封建遺制が廃止された。農地改革は地主的土地所有を根幹において廃絶し、農村はほぼ0.3~4ヘクタールの均質な自作農(平均1ヘクタール)によって構成されるフラットな社会となり(公選制の農業委員会制度導入)、小作農の貧困問題が消滅した。また、改正民法によって男女平等と均分相続が実現され、家族内における男女間、長子、その他の成員間の不平等が解消された。とはいえ、農地相続は多くが家の後継者による一括相続であるし、個人ではなく家を単位にして農地の権利移動を律する「世帯主義」の考え方を農地法が採用しているほか、農業協同組合の組合員資格も1986年まで1戸1組合員制を原則としていたことに示されるように、農村民主化の課題は今日でも十分には達成されていない。こうしたなかで労働報酬や部門分担などでの親子間(家族協定、1964年~)または夫婦間(家族経営協定、1993年~)の民主的な関係構築を目ざす運動が取り組まれている。
戦後復興が一段落した1955年から71年に日本経済は高度成長を達成し、軽工業段階から重化学工業段階へ飛躍するとともに、低成長期を経て、85年以降にはマイクロエレクトロニクス工業段階に突入した。高度成長は農家の次三男・女子労働力の地すべり的流出を促し、農村の過剰人口問題を一挙に解消するが(出稼ぎは1970年代にほぼ消滅する)、平野の周辺部から山間地に至る、まとまった平坦(へいたん)な耕地が少ない中山間地域では過疎問題を深刻化させて今日に至っている(1965年制定の山村振興法、1970年制定の過疎地域振興法で対策が図られている)。都市・平地農業地域では通勤兼業化が急速に進むなかで、農工間の所得格差解消を目ざして農業基本法が制定された(1961年)。基本法は規模拡大を通じた自立経営の形成によって都市勤労者世帯に均衡する農業所得確保を目ざし、所得均衡は兼業農家で農家所得として達成されたほか(1960年代末)、酪農・畜産と施設型農業では専業農家や法人経営において著しい規模拡大を通じ、かなり実現したものの、耕地の2分の1をしめる水田では兼業稲作が支配的であり、高齢化に伴って耕作放棄が深刻化している。水田農業の構造再編は1999年(平成11)に制定された食料・農業・農村基本法(新農業基本法)でも中心的な課題とされてはいるが、農業衰退に構造再編が追いついていないのが実態である(とくに中山間地域)。
農業基本法は農村の振興を謳(うた)っているものの、農村に住む非農家住民を視野に入れてはおらず、農村問題に対する独自の視点はない。この段階までは農村問題は農業問題の枠内で解決するというのが農政の基調であった。しかし、69年の新全国総合開発計画や農業振興地域整備法の制定、総合農政の策定あたりからは、農村生産基盤整備とならんで生活環境整備が重視され、74年には国土庁発足に伴って農村整備課が設置されることになった。高齢化、過疎化の進行、他方での兼業化、混住化、都市化の進行が新たな課題への対処を求めた結果であろう。そして、農政の枠組みのなかに農村整備が組み込まれるのは80年の農政審議会答申からで、86年農政審答申では農業、農村の多面的機能が重視されるとともに、91年度からは農業基盤整備事業が農業農村整備事業に名称変更することになった。そして、92年の新政策において、「食料・農業・農村」という把握が行われ、新基本法に至るわけである。そこでは「農業者を含めた地域住民の」「生活環境」としての「交通、情報通信、衛生、教育、文化」、医療、住宅などの整備が課題とされており、農村の全住民を対象とした領域で農村問題が発生しているという認識を示しているといえる。なお、80年代なかばまでの農村整備が主として農村住民に対する福祉の向上を主要課題としていたとすれば、それ以降は農村の整備、振興が多面的機能の維持、発展を通じて都市住民にも福祉をもたらすという文脈で理解すべきであろう。また、農村は高齢化が進んでおり、医療サービスのありかたについて、来るべき日本の長寿社会のモデルとなることが求められているともいえよう。
クラスをとっていて
授業内容を聞くごとに
なぜ、日本の東北の農村は
過疎化とか「おくれている」ところに
なっているのか理解できてきた。
耕作放棄地のことを
書いたら、日本の農業の問題が
いろいろかけるかな?跡継ぎ問題とか
と思ってましたが、
農村問題という問題の説明みて、
これがわたしの知りたかったことだ、
とこの文章かかれた谷口教授の文章の
整理の仕方に参りました。
農村問題
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%BE%B2%E6%9D%91%E5%95%8F%E9%A1%8C/
以下ウェブから文抜粋
農村問題(のうそんもんだい)
[ 日本大百科全書(小学館) ]ヘルプ
rural problems
農村問題とは農村地域(集落)における社会問題の総称である。したがって、これを理解するためには、以下の点についての予備的検討が必要である。第一は、いかなる地域(集落)を農村(村落)と考えるかである。第二は、農村は都市と対になって地域(集落)を理解する概念である以上、農村問題の出現は都市問題の出現と期を一にしていることをどうみるかである。第三は、農村は農民を主たる居住者とする地域であり、農業を主たる産業とする地域でもあることから、農村問題は農民問題、農業問題と密接不可分の関係にたち、しばしばこれらと同義に取り扱われてきたが、その区別をどう考えるかである。
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農村問題
1.
農村と都市の区分
2.
農村問題と都市問題
3.
農業・農民・農村問題
4.
日本の農村問題
第二次世界大戦前、 第二次世界大戦後
1. 農村と都市の区分
農村の指標としてはこれまで、たとえば職業(主たる住民が就業する産業が農業)、人口密度(住宅密度、宅地率が低い)、土地利用(農林業的利用が支配的)、行政上の市町村制(町村を農村とする)、人口規模(人口1万人以下の自治体)、生活様式(自然的条件との結合が強い)、住民の等質性、非移動性、相互関連の強弱など多様なものが考えられ、それらの組合せによる定義が示されてきた。しかし、それらの指標自体もけっして一義的ではありえない。たとえば、行政区域たる市をとると、静岡市は中心市街地から約80キロメートル離れた南アルプスの間ノ岳(あいのたけ)(3189メートル)までが市域であり、市域に多くの農村を含んでいるといったぐあいである。また、多くの指標を組み合わせた定義となるとかなり複雑にならざるをえない。そこで、農村のもっとも単純で明快な定義としては上述のように、農業に従事する居住者が中心の地域、とすることが妥当であろう。他の指標はこれに従属すると考えられるからである。
2. 農村問題と都市問題
人類の定住は農村において始まったが、農村しか存在していない状態では農村という集落を特別に認識する必要はなかったし、農村問題が発生したということはできない。しかし、社会的生産力の発展に伴って、政治的支配者や宗教者、商工業者などが集住する都市が生まれ、農村とは異なる集落が認識されるようになるとともに、社会問題としての都市問題、農村問題が発生したということができる。とはいえ、封建社会の末期に至るまでは社会における農村の割合は圧倒的であって、都市を含めた社会全体が農村的色彩を帯びていたから、都市問題はもちろん、農村問題も固有の問題として認識されることは少なかったのである。
しかし、資本主義の形成はこうした状況を一変させた。第一に、人口が都市へ急速に集中するのに伴って、それまでの農村的社会(農村が支える都市)から都市的社会(都市に従属する農村)への転換が始まった(都市と農村の関係は一層緊密になった)。第二に、社会の富が都市において急速に集積されたのに対し、農村の経済発展が遅れることになった。第三に、農村自体が都市化の波に洗われ、変容を始めた。こうした変化に対応して、都市問題、農村問題が固有の課題をもって発生することになったのである。
第一の領域に関しては、それまでに経験したことがない都市への急速な人口集中に伴って、住宅・衛生・治安問題(生活にかかわる問題)を出発点として、次々に固有の都市問題が発生した。そして、その裏面では、離農、離村による人口流出によって、過疎や集落の消滅といった農村の存亡にかかわる農村問題が発生することになった。第二の領域に関しては、大局的には工業の発展に対する農業の発展の遅れによって発生した産業問題=農業問題が、農民の貧困=農民問題、農村の貧困=農村問題として現れたという性格を有しているとみることができる。そして、第三の領域に関しては、農村自体が都市に接近してゆく過程で、都市化しきれないために、社会習慣、社会関係などにおける前近代的要素の残存、生活基盤などの社会的インフラストラクチャー(基盤)整備の遅れ、これと密接不可分の教育、文化、医療などの社会的サービス供給の遅れ、といった農村問題が発生すると考えられる。このように、農村問題は社会の近代化過程で都市問題とメダルの両面の関係に立ちながら固有の問題として発生している点を理解することが重要である。
3. 農業・農民・農村問題
固有の農村問題が近代化の過程で発生したと同様に、固有の農民・農業問題もこの過程の所産である。しかし、すでに述べたことからも明らかなように、農村問題は農業問題や農民問題と重なり合うものの、それとは一定の距離をもったものとして理解すべきである。ところが、これまでは三つをほとんど区別しない方が多かったといえる。たとえば、農業経済学者の栗原百寿(はくじゅ)(1910―55)は農業(農民・農村)に関する経済的・政治的・社会的問題の総括が農業(農民・農村)問題であって、三者は同一だとした上で、農業問題を地域的にみたものが農村問題、主体的にみたものが農民問題であり、農業問題は、農民問題、農村問題を含んだ総合的な概念だとした。たしかにこうした見方は、農村には産業としては農業しかなく、農業の担い手がことごとく家族経営とその下の農民であり、農村住民がすべて農民である場合には妥当であろう。しかし、今日では農村の産業には農業以外に多様なものが含まれている(農業自体も大きく変容している)。また農業経営のなかには法人経営も含まれ、農業労働者もまた農業の担い手となっている。さらに、農村住民が非農業者を含むとともに、農民自体も兼業化などにより非農民化を強めている。こうした実態を考慮すれば、農業=農民=農村を等号で結び、そこでの社会問題を同一であるということはできない。
したがって、今日では、農業=農民=農村がほぼ等号で結びうる農業発展の段階(全社会的には重化学工業段階まで)と、それが等号で結びえなくなる発展段階(マイクロエレクトロニクス工業段階以降)とに分けて農村問題を考察することが望ましいといえよう。前者においては、農村問題はより基本的な農業問題に包摂されつつ、その地域的な側面に強くかかわるものであるが、これに加え、地域社会の存亡や地域社会における社会習慣、社会関係における前近代的要素の残存といったある程度独自の問題領域をさしている。後者においては、個々の農民家族の経済的貧困問題としての農業問題が一定程度解決されたことを前提として、社会的インフラ整備や社会サービス供給における都市に対する後進性に由来する生活面での貧困、農業以外の他産業を含めた地域経済の衰退に伴う定住人口減少と地域社会の存亡といった新たな領域が大きな比重を占めているということができる。
4. 日本の農村問題
第二次世界大戦前
日本は今日の先進国のなかではもっとも遅く近代化を開始しながら、列強の植民地にされる経験を一度ももたないまま、もっとも早いスピードで近代化を成し遂げた国に属している。こうした近代化の特殊性に規定されて、第二次世界大戦前には以下のような農村問題が構造的に存在していた。
(1)富国強兵に象徴される上からの近代化は、天皇制を頂点とし、長男一子相続に基づいた家父長制的家族制と村落規制に支えられた前近代的な社会関係を広範に温存させながら展開した。そこでは地主、自作農、自小作農、小自作農、小作農という村落内の階層秩序と農民家族における成員間の不平等な関係が支配的であった。この封建遺制の下で自作農に強兵の源泉としての役割が期待された。
(2)高額高率現物小作料に基づく地主・小作関係の下で、低所得にあえぐ小作農は製糸女工などの出稼ぎ形態の家計補充的低賃金との結合でやっと最低生活が維持できる状態であった。高額小作料と低賃金の相互規定関係に示される農村の貧困の下で農村には過剰人口が滞留し、次三男労働力が農村・都市雑業層として低賃金労働市場の裾野を構成していた。
(3) 輸出の中心は国内養蚕業を基盤とする製糸・絹織物工業(生糸が中心、輸出先は欧米)と、インド、アメリカからの輸入綿花を基盤とする綿紡績・織物工業(綿織物が中心、輸出先は東・東南アジア)であった。綿紡績は輸入技術に基づく機械制大工業によって牽引(けんいん)されたが、その他では問屋制的在来工業が広範に残存して(二重構造)、低賃金が支配的であり、花形農業部門であったにもかかわらず、農家女性の低い地位に由来する過重労働で支えられた原料繭価の低位性=低農業所得と併存していた。綿織物に輸出の重点が移ると、東アジア市場の維持、確保のために日本が軍事的進出を行う契機となった。
(4)こうした軍事力を支えるために外貨が重点的に投資され、輸入技術に依存する軍需産業を軸とした重化学工業基盤が強力に創出される一方、米を軸とした食糧自給によって外貨の節約が目ざされた。地主制は財政基盤たる地租を確保する手段として認知され、戦前の権力の一角を構成したが、日中戦争への突入とともに、農業生産力発展の阻害要因たることが明らかになり、弱体化が目ざされた。
なお、戦前に農村問題が強く意識された時期や運動として、1890年代末から経済官僚の前田正名(まさな)によって策定が促進された町村是(ちょうそんぜ)運動(松方デフレによる農村の疲弊と地主制確立への対応としての農村再興運動)と、昭和恐慌時の1932年(昭和7)から始まる農村経済更正運動(農家次三男の満州移民政策に結合)をあげておく。
第二次世界大戦後
1946年に始まる農地改革を起点とする一連の戦後改革により、農村における多くの封建遺制が廃止された。農地改革は地主的土地所有を根幹において廃絶し、農村はほぼ0.3~4ヘクタールの均質な自作農(平均1ヘクタール)によって構成されるフラットな社会となり(公選制の農業委員会制度導入)、小作農の貧困問題が消滅した。また、改正民法によって男女平等と均分相続が実現され、家族内における男女間、長子、その他の成員間の不平等が解消された。とはいえ、農地相続は多くが家の後継者による一括相続であるし、個人ではなく家を単位にして農地の権利移動を律する「世帯主義」の考え方を農地法が採用しているほか、農業協同組合の組合員資格も1986年まで1戸1組合員制を原則としていたことに示されるように、農村民主化の課題は今日でも十分には達成されていない。こうしたなかで労働報酬や部門分担などでの親子間(家族協定、1964年~)または夫婦間(家族経営協定、1993年~)の民主的な関係構築を目ざす運動が取り組まれている。
戦後復興が一段落した1955年から71年に日本経済は高度成長を達成し、軽工業段階から重化学工業段階へ飛躍するとともに、低成長期を経て、85年以降にはマイクロエレクトロニクス工業段階に突入した。高度成長は農家の次三男・女子労働力の地すべり的流出を促し、農村の過剰人口問題を一挙に解消するが(出稼ぎは1970年代にほぼ消滅する)、平野の周辺部から山間地に至る、まとまった平坦(へいたん)な耕地が少ない中山間地域では過疎問題を深刻化させて今日に至っている(1965年制定の山村振興法、1970年制定の過疎地域振興法で対策が図られている)。都市・平地農業地域では通勤兼業化が急速に進むなかで、農工間の所得格差解消を目ざして農業基本法が制定された(1961年)。基本法は規模拡大を通じた自立経営の形成によって都市勤労者世帯に均衡する農業所得確保を目ざし、所得均衡は兼業農家で農家所得として達成されたほか(1960年代末)、酪農・畜産と施設型農業では専業農家や法人経営において著しい規模拡大を通じ、かなり実現したものの、耕地の2分の1をしめる水田では兼業稲作が支配的であり、高齢化に伴って耕作放棄が深刻化している。水田農業の構造再編は1999年(平成11)に制定された食料・農業・農村基本法(新農業基本法)でも中心的な課題とされてはいるが、農業衰退に構造再編が追いついていないのが実態である(とくに中山間地域)。
農業基本法は農村の振興を謳(うた)っているものの、農村に住む非農家住民を視野に入れてはおらず、農村問題に対する独自の視点はない。この段階までは農村問題は農業問題の枠内で解決するというのが農政の基調であった。しかし、69年の新全国総合開発計画や農業振興地域整備法の制定、総合農政の策定あたりからは、農村生産基盤整備とならんで生活環境整備が重視され、74年には国土庁発足に伴って農村整備課が設置されることになった。高齢化、過疎化の進行、他方での兼業化、混住化、都市化の進行が新たな課題への対処を求めた結果であろう。そして、農政の枠組みのなかに農村整備が組み込まれるのは80年の農政審議会答申からで、86年農政審答申では農業、農村の多面的機能が重視されるとともに、91年度からは農業基盤整備事業が農業農村整備事業に名称変更することになった。そして、92年の新政策において、「食料・農業・農村」という把握が行われ、新基本法に至るわけである。そこでは「農業者を含めた地域住民の」「生活環境」としての「交通、情報通信、衛生、教育、文化」、医療、住宅などの整備が課題とされており、農村の全住民を対象とした領域で農村問題が発生しているという認識を示しているといえる。なお、80年代なかばまでの農村整備が主として農村住民に対する福祉の向上を主要課題としていたとすれば、それ以降は農村の整備、振興が多面的機能の維持、発展を通じて都市住民にも福祉をもたらすという文脈で理解すべきであろう。また、農村は高齢化が進んでおり、医療サービスのありかたについて、来るべき日本の長寿社会のモデルとなることが求められているともいえよう。
2010年5月29日 星期六
日本年金の問題点とは?
これは、期末で日本の年金をプレゼンするために
読んでいる本の内容です。
タイトル:東アジアの社会保障
作者:埋橋孝文・木村清美・戸谷裕之 編
2009年
ナカニシヤ出版
はじめにから
・日本、韓国、台湾は、欧米と比べて「開発主義」的側面が強く、
遅れてきた福祉国家である。
・日本は「失われた10年」を通して、小泉政権の下で労働の規制緩和、
社会保障予算の削減が進められた
第3章 斎藤立滋 日本の社会保障制度の現状と課題より
・(p60)社会保障給付全体に占める「年金(高齢)」の比重は、
先進諸国のなかでもっとも大きい。
・社会保険の負担と給付の区別を不明確にし、
世代間格差を生む原因⇒社会保障制度に相当額の税が投入
基礎年金の3分の1、介護保険の2分の1が税
・(p60)社会保険が機能不全
①財政方式が賦課方式⇒少子化⇒保険料収入が減少⇒給付額が増加
②原則、正社員雇用して保険料納付⇒1990年代後半以降「雇用形態の多様化」
・(p62)5つの排除
①社会保険からの排除(保険料未払い、雇用先会社の未加入)
②公的扶助からの排除(生活保護の申請資格の厳格化)
③企業福祉からの排除(非正社員は福利厚生なし)
④家族福祉からの排除(単身者、パラサイトシングル増加)
⑤自分からの解除(希望喪失)
・(p62)政府が行うべきは、本来の目的である
「高齢者の最低限の生活保障」=「基礎年金の保障」
基礎年金は、所得再配分の観点から、税を財源とするのが望ましい。
読んでいる本の内容です。
タイトル:東アジアの社会保障
作者:埋橋孝文・木村清美・戸谷裕之 編
2009年
ナカニシヤ出版
はじめにから
・日本、韓国、台湾は、欧米と比べて「開発主義」的側面が強く、
遅れてきた福祉国家である。
・日本は「失われた10年」を通して、小泉政権の下で労働の規制緩和、
社会保障予算の削減が進められた
第3章 斎藤立滋 日本の社会保障制度の現状と課題より
・(p60)社会保障給付全体に占める「年金(高齢)」の比重は、
先進諸国のなかでもっとも大きい。
・社会保険の負担と給付の区別を不明確にし、
世代間格差を生む原因⇒社会保障制度に相当額の税が投入
基礎年金の3分の1、介護保険の2分の1が税
・(p60)社会保険が機能不全
①財政方式が賦課方式⇒少子化⇒保険料収入が減少⇒給付額が増加
②原則、正社員雇用して保険料納付⇒1990年代後半以降「雇用形態の多様化」
・(p62)5つの排除
①社会保険からの排除(保険料未払い、雇用先会社の未加入)
②公的扶助からの排除(生活保護の申請資格の厳格化)
③企業福祉からの排除(非正社員は福利厚生なし)
④家族福祉からの排除(単身者、パラサイトシングル増加)
⑤自分からの解除(希望喪失)
・(p62)政府が行うべきは、本来の目的である
「高齢者の最低限の生活保障」=「基礎年金の保障」
基礎年金は、所得再配分の観点から、税を財源とするのが望ましい。
2010年5月25日 星期二
ECFAについて
両岸経済協力枠組協定ECFAについて
先生や同級生が言ってたこと
そのまえに、
日本語での概要(まとまってるー)
http://jp.fujitsu.com/group/fri/report/china-research/topics/2009/no-124.html
・ECFAは台湾が中国を、この締結を通じて
台湾の民主化影響を中国の一般市民に浸透させる
植民地政策のようなものではないか?(学生より)
・日本のFTAのように
農地を大量生産用に変化させるために
海外と貿易協定を締結するという意図はない(うちの質問への返答)
・民進党はECFAを進行するのに有利な立場を確保している
台湾の一般市民を捨てないという支持があるから(先生より)
・国民党が中国と組もうというのは、自然な流れ。
すでに民進党はアメリカ、カナダ、日本にFTA締結を
断られている。民進党も次に協議する相手は中国だと思っていた。
でも、テレビでの馬英九と小英の討論のなかで、
なぜ国民党は中国に走るのかと民進党が攻撃してた。
なぜWTOの枠組みで他の東南アジアの国と締結しないのかと。(学生より)
・台湾は国内だけで産業を稼働させ、国内消費を刺激し
国内だけでGDPを伸ばすことは不可能。何らかの対外貿易が必要。
今台湾を国と認めている外国との貿易はGDPの100分の1くらいの利益にしか
ならない。(学生より)
・農家が受けるであろう失業への福祉厚生対策がまだ発表されてない。(学生より)
・台湾国内に、どうしたら、対外貿易に頼らずともGDPを上げるだけの
新産業ができるのか?台湾の文化を利用したカメラ産業、ソフトパワーは
もっと海外で設けられるのではないか?科学技術には就職口はない、
観光業をもっと盛んにしてはどうか?(学生より)
・台湾の介護産業にはもっと働き手が必要だが
インドネシアからの外国人労働者で間に合っている。(学生、先生より)
・
先生や同級生が言ってたこと
そのまえに、
日本語での概要(まとまってるー)
http://jp.fujitsu.com/group/fri/report/china-research/topics/2009/no-124.html
・ECFAは台湾が中国を、この締結を通じて
台湾の民主化影響を中国の一般市民に浸透させる
植民地政策のようなものではないか?(学生より)
・日本のFTAのように
農地を大量生産用に変化させるために
海外と貿易協定を締結するという意図はない(うちの質問への返答)
・民進党はECFAを進行するのに有利な立場を確保している
台湾の一般市民を捨てないという支持があるから(先生より)
・国民党が中国と組もうというのは、自然な流れ。
すでに民進党はアメリカ、カナダ、日本にFTA締結を
断られている。民進党も次に協議する相手は中国だと思っていた。
でも、テレビでの馬英九と小英の討論のなかで、
なぜ国民党は中国に走るのかと民進党が攻撃してた。
なぜWTOの枠組みで他の東南アジアの国と締結しないのかと。(学生より)
・台湾は国内だけで産業を稼働させ、国内消費を刺激し
国内だけでGDPを伸ばすことは不可能。何らかの対外貿易が必要。
今台湾を国と認めている外国との貿易はGDPの100分の1くらいの利益にしか
ならない。(学生より)
・農家が受けるであろう失業への福祉厚生対策がまだ発表されてない。(学生より)
・台湾国内に、どうしたら、対外貿易に頼らずともGDPを上げるだけの
新産業ができるのか?台湾の文化を利用したカメラ産業、ソフトパワーは
もっと海外で設けられるのではないか?科学技術には就職口はない、
観光業をもっと盛んにしてはどうか?(学生より)
・台湾の介護産業にはもっと働き手が必要だが
インドネシアからの外国人労働者で間に合っている。(学生、先生より)
・
利益の衝突 とは
今日オゾン層の被害が
どこから始まるのか、
その数値を決めるときの政策を授業で
やりました。(たぶん)
先生が
conflict of interest
利益衝突(中国語)
↑
利益の衝突について
ちゃんと理解しなさいと言ってました。
ありがとー日本のヤフーちゃんと説明ありまちたー
参考資料
http://www.jia.or.jp/web/nishibe5.htm
「 Conflict of Interest(利益の衝突)という言葉があります。本来は公人としての立場と私人としての立場で同一人の中で利益が衝突する状態を言います。例えば建設大臣が大手建設業の社長であったり、郵政大臣が放送会社の大株主である場合、政治家として国家、国民の利益を優先させる立場にありながら、経営者、株主としての立場からは自分の会社に有利な政策を選ぶ可能性があります。本人自身も自己撞着で悩まなければならないので、このような利益の衝突が起こるような人事は避けるのが常識です。
設計施工における工事監理者は典型的な Conflict of Interest に該当しています。監理者として建築士法を守ろうとすれば建築主の立場に立って建築主の利益を守ることになります。同時に監理者は施工会社の社員であれば会社の利益を守る義務があります。建築主の利益と会社の利益が衝突し監理者は悩んだ挙句に会社を選ぶでしょう。この場合は人事の問題ではなく、建築士法そのものに矛盾があるからです。この矛盾を無くする方法は三つあります。一つは設計施工の兼業を禁止することです。そうすれば施工会社から監理者が出ることも無くなります。次の方法は設計施工の場合は監理者を第三者から選ばなければならないとすることです。何れの方法も施工者サイドから既得権を奪うことになり猛反対が予測されるので最後の方法を提案します。設計施工に限って工事監理は要らないことにすればよいのです。設計施工は施工会社のブランドでパッケージ販売をするものですから、トータルで責任を持たせれば良いわけで、それが不安な人は買わなければ良いのです。アーキテクト(建築家)が設計監理を独立した形で行うのは、利益の衝突を生まない最もシンプルで基本的な建築工事の姿です。」
どこから始まるのか、
その数値を決めるときの政策を授業で
やりました。(たぶん)
先生が
conflict of interest
利益衝突(中国語)
↑
利益の衝突について
ちゃんと理解しなさいと言ってました。
ありがとー日本のヤフーちゃんと説明ありまちたー
参考資料
http://www.jia.or.jp/web/nishibe5.htm
「 Conflict of Interest(利益の衝突)という言葉があります。本来は公人としての立場と私人としての立場で同一人の中で利益が衝突する状態を言います。例えば建設大臣が大手建設業の社長であったり、郵政大臣が放送会社の大株主である場合、政治家として国家、国民の利益を優先させる立場にありながら、経営者、株主としての立場からは自分の会社に有利な政策を選ぶ可能性があります。本人自身も自己撞着で悩まなければならないので、このような利益の衝突が起こるような人事は避けるのが常識です。
設計施工における工事監理者は典型的な Conflict of Interest に該当しています。監理者として建築士法を守ろうとすれば建築主の立場に立って建築主の利益を守ることになります。同時に監理者は施工会社の社員であれば会社の利益を守る義務があります。建築主の利益と会社の利益が衝突し監理者は悩んだ挙句に会社を選ぶでしょう。この場合は人事の問題ではなく、建築士法そのものに矛盾があるからです。この矛盾を無くする方法は三つあります。一つは設計施工の兼業を禁止することです。そうすれば施工会社から監理者が出ることも無くなります。次の方法は設計施工の場合は監理者を第三者から選ばなければならないとすることです。何れの方法も施工者サイドから既得権を奪うことになり猛反対が予測されるので最後の方法を提案します。設計施工に限って工事監理は要らないことにすればよいのです。設計施工は施工会社のブランドでパッケージ販売をするものですから、トータルで責任を持たせれば良いわけで、それが不安な人は買わなければ良いのです。アーキテクト(建築家)が設計監理を独立した形で行うのは、利益の衝突を生まない最もシンプルで基本的な建築工事の姿です。」
2010年5月19日 星期三
技術家主義の再検討
科学技術と社会のクラスを
必修なので、履修イマしてますが、
つぎ自分がSheila Jasanoffの第10章プレゼンになりました。
教科書は英語です。
プレゼンは中国語です、あたりまえか。
でも、すーごく英語がわからないので、
訳せるところを
訳しました。
エキサイト!アルクのウェブに超お世話になりました。
感謝です。
6枚分翻訳して疲れたけど、
なんか、これでおわるのもなとおもい、
なんかくやしいので、ここにのせておこーみたいなかんじです。
自分の日本語おかしいー
ほんとにどこをプレゼンすればよいのか、わかりにくい英語です。
てか私に
ロジックが足りないのです。
訓練せねば。。。
-------------------
A Public-Private Partnership for Science p.209
研究の独立性の確保はtechnocrat技術専門家?(または技術家政治主義者/技術系出身官僚/管理職)のゴールで、あまり議論の的にならない。官僚は、規制者と政治利害団体が科学に関わる政策の産出にあまり影響しないなら、研究の独立性は幅広い関係者に受け入れられるであろうと論じた。しかし、社会的構成主義者の反論が必ずあり、当事者が賭け金に明確な利害関係をかけずに生成した知識は、確実に米国規制の解体圧力に対してもっと抵抗があるだろう。これはケンブリッジのHEI Health Effects Instituteの研究プログラムに基づいた仮説である。HEIはEPAと自動車産業により設立された。 HEIの大気汚染の規制使用のため、政治的中立確立と、科学的に完璧な知識基礎を築き上げる努力は、どんな科学政策改革の議論にも考慮に値する。
HEI’s Peer-Review Process p.210
HEIとはCharles Powersが考案したようなものである。彼はアメリカ国内で、規制科学の正当性を高める規定を2つ提出した。1つは、研究資金の決定が規制過程の反対動力から切り離された場合、科学政策をめぐる論争のレベルが減ること。2つ目に、政府と産業に独自に働く研究支援団体は、規制する当事者のいずれも有効性を疑問視しない高品質な科学を作り出せる。パワーズは1978年から、政府と産業から同等に資金を供給され、提案を検討し、助成金を授与する組織の概念を展開し始めた。彼の目的は、大気汚染物質の健康への影響の情報を国家が最高の供給元になる威信を保証するのに十分な組織を設立することだった。HEIは1980年に設立された。EPAと自動車産業が毎年約6ミリオンドルの財源を出資し、双方には大気汚染制御の分野で大きな儲けとHEIの研究プログラムの成功に共通の関心ができた。しかし、国民との信頼性を確立するために、HEIは金融のスポンサーからの独立を示す必要があった。HEIは2つの科学委員会の援助で独立を示そうとした、1つは研究助成金授与を監督する委員会、1つは研究結果を確認する委員会である。ピアリビュー取得のため、この2つの分岐した制度は、HEIは客観性のある外部の組織であることを説得する、成功する鍵になることを証明した。
HEI’s Peer-Review Process p.210
HEIのHealth Research Committeeには、組織の研究目的、優先順位、授与契約を定義する責任がある。この委員会は一応HEIの共同スポンサーからの推薦を考慮しているが、委員会はスポンサーの要求を光栄には思わない。実は独立に関する早期主張で、理事会と調査委員会は、自分の研究課題をスポンサーによる審査に提出することよりも、EPAと産業とのミーティングから脱退しました。1982年に調査委員会は、自動車の排ガスの人体への影響の科学的理解向上をするプロジェクトにRFAsの発行を開始。図10.1のように、スポンサーと一般大衆からの視点の懇願でRFAsが始まった。調査委員会はそれからやっと科学的知識の重大なギャップを識別し、RFAsの発行を通じて、研究コミュニティに提案を提出してもらう。研究設計と実験手続きprotocols見直しに続いて、委員会はプロジェクトと契約発注先を選ぶ。最初の発注は1983年に行われた。
HEIのもう一つの大黒柱である、評価委員会は1985年に正式に始動した。(組織によって資金を得たプロジェクトが具体的な実験結果を出した最初の年となった。)これは研究委員会から厳格な機能分離を維持し、評価委員会のメンバーは研究設計や評価を要求されている研究行為に関与しない。研究が完了したら、HEIの組織内スタッフによって補助された評価委員会は、研究成果の科学的調査を行い、残りの不確実性を識別し、スポンサーに研究結果を解釈するために、必要に応じて委員会を使用できるようにした。純粋な科学的仲裁者としての評価委員会の役割は、委員会を規制科学の研究の応用可能性に対する評価の分野から除外することであった。
HEI in Operation: The Multi-Center CO Study p.212
HEIの最初の十年間で、最も野心満々の研究は、multi-center一酸化炭素の研究でした。1983年に100万ドル以上の 予測された費用で開始。この調査に資金を提供するかしないかの決定は、一酸化炭素標準設定の歴史によって左右されてきた。Wilbert Aronowによって指摘された健康への影響に関するデータが問題視されたとき、EPAは評判のよい研究者によって行われた同様の研 究は、一酸化炭素露出の心臓血管系作用決定に必要なものだと定めた。Aronowの失敗は、新しく作られたHEIの機能を確認するのに理想的な機会を作りだし、そして、1983年7月にEPAは、一酸化炭素研究を求める正式な要請を出した。HEI の調査委員会はこれを一酸化炭素の正式な研究に対して、即時の政策目標を提出しなければいけないときでさえ、)組織が高品質の科学 を作り出すことを示す機会だとして歓迎した。プロジェクトは以前の失敗を補うように設計され、長所と政治に無関心な知識を形成する組織の欠点を示した。
一酸化炭素プロジェクト起動のため、HEIは調査委員会の3人のメンバーを、2人の心臓内科医、および環境生理学者から構成する小規模ながらも顕著な監視委員会を設立しました。再現性のある結果を得るというEPAの必要性は、通常の研究勧誘の習慣からの脱却を必要とした。監視委員会は何百もの申請要求を研究者に提出した。この非常に構造化された手順の目的は、必要な科学的科学的、非科学的資格を示すことのできる捜査官を選ぶことで、偏見がないことや、利害の抵触と同様に、施設と人間へのアクセスも含まれる。
プロジェクトのために選ばれた3人の実験責任者が、まさにAronow研究を複製することを勧めないと決めた。監視員会、HEIスタッフと密接に働き、3人は、一貫した方法で3つの異なる場所で行える、より厳密な手順を設計するため、大きな難問に直面した。例えば、いかに個々の対象の一酸化炭素吸収率の再現性を確保するか。Multi-centerは各実験的な暴露の際に、同一の一酸化炭素濃度と露出時間を使用する伝統的なコースを断念した。調査官は各対象の摂取速度に応じて一酸化炭素の集中が調節される方法を採用した。これは統計的に、より有力な結果を得られると考えられた方法である。
しかしこのアプローチも相当な障害にぶつかった。確実な手順を作成する過程は、HEIスタッフが予測していたよりも複雑であることが判明した。例えば、摂取速度の均等性を確実にするため、試験的実験実施は必要になった。Jane Warrenによれば、プロジェクトのマーネージャーだが、各患者の一酸化炭素ヘモグロビンを同じレベルにしようという努力は、かなり複雑で、乱暴は領域であり、まさに一酸化炭素レベルを達成しようとしている。この目標を達成するために、たくさんの計画遅延が生じた。このような複雑さが大幅に研究の長さと費用を増加させた。作業は1983年に始まったが、1985年の3月まで最初のテストは行われなかった。1987年の3月には、研究は終わり、69項目がテストされた。HEIは一酸化炭素にもとは$1万ドルの予定が最終的に$2.5万ドルを費やした。
一酸化炭素の品質保証の責任はアーサーリトルADL経営コンサルタントに委任された。ADLは品質保証の一般分野の経験と一酸化炭素実験システムに精通している経験のある組織。調査を通じて、ADLのスタッフは手順に従って、実験が行われていたの確認するために、3カ所すべての実験室を周期的に訪問した。このような監視は決して安価でなく、元ADL職員は品質保証は全体の労働費の10から20%になるのではないかと予測した。
一般にmulticenter研究の中間評価は、プロジェクトの完成が政策に決定的な影響を及ぼすという期待より、むしろ用心深い楽観主義の精神を反映した。実験責任者の一人は、研究の主要な達成とは大気汚染と健康に関する研究の一般レベルを上げることだと示唆した。EPAも、科学特効薬になる、multicenter一酸化炭素研究のために細心の注意を払った研究を一つも予想していなかった。一酸化炭素の標準改正に関して、HEIが後援した研究を含み、EPAは現在進行中の多くの研究に依存する必要があると信じていた。
HEIの第4回年間会議が1987年にあり、実験が計画通り進んでいないことが明らかになった。研究者は、再現性の確実のために適用しなければならなかった厳格な評価基準に合わせたことと、候補患者有効人口を減少させた治療進歩があって、適当な数の患者を見つけるのに苦労した。1989年11月にNew England Journal of Medicineの出版と、調査委員会が行った精密な調査により、一酸化炭素は政治関連か、健康に害があるか、空気質標準に影響するか、研究をする必要があるかについて議論が大きく展開した。研究結果は低濃度の一酸化炭素でも心臓病を煩う患者に危害を加えることが出来るという仮説を立証した。またこの患者は、厳格な基準を正当化する傾向があり、したがって潜在的に業界の利益を害す結果のある患者である。規制政治の制約の中にいる一方で、最先端の科学を産出する政策に影響を及ぼす可能性があるにもかかわらず、研究は挑戦に耐えた。
Implications of the HEI Experience p.214
HEIモデルは、生産及び規制科学を検証する伝統的な方法に取って代わるのか?1986年 General Accounting Office (GAO)米会計検査院による調査は、信頼問題は組織の主要な関心ではないだろうと述べた。61人にインタビューして、HEIは表明 した使命通り、独立を保ち、高品質の研究を行うことに成功したとGAOは表面上認めた。政策についてインタビューされた側 は、いくつかの仕事の関連性についてはあまり楽観的ではない。100個のHEIプロジェクトのランキングで、EPAは44 番目で、低、中低の関連にある。好ましくない評価の大きな原因は、研究が過度の高レベル公開(露出)を行った結果、限られ たリスク評価と以前の研究と不必要に重複した。
HEIスタッフはこの評価は当然の代償だと考えている。研究所(組織)は次第に健康への影響に関する研究の支持が減少するなか、資金 をひきつけ、非常に恵まれていた。同時にHEIの幹部は、multicenter一酸化炭素研究が唯一の評価基準となるのは非現実的であると述べた。規制科学の実用的な世界よりも、HEIの主潮は自分自身のために知識を追求する、このような研究科学用語で説明されるようになった。
GAOレポートはHEIの本質的なジレンマの症状をあらわにした。細心の手順と完全な再製可能性は、研究結果が規制組織(当局)に政策 決定を近づけさせないと、割が良いとは言えなかった。たとえば、一酸化炭素研究では、2.5万ドルは行き過ぎとみなされた、1980 年以来EPAが研究に費やした320万ドルの一部にしかすぎなかったにもかかわらず。
HEIの信頼に対するもっと差し迫った脅威は内外からの圧力である。組織は、研究課題と顧客の名簿の多様化させるために働く。最初の HEIのこれに向けた努力は、組織が調査科学と規制科学の間を目指す高感度てんびんをアピールすることだった。1988年8月、議会はEPAのためにアスベスト調査のための2ミリオンを一部条項を含めた。それは科学の品質とピアリビューの客観性を確立するために、立法者は指定されたHEIによって行われるべきだからだ。EPAの行政の要求で、HEIの取締役会(重役会)は組織がどう議会命令に応じるべきか提言するために研究チームを招集した。研究チームの最初の関心は学術用語でプロジェクトの実行可能性を評価すること、そして研究プランを開発することだったが、審理はHEI制度上のアイデンティティに対するアスベスト研究の可能な影響にも集中した。
研究チームは新しいプロジェクトが、アスベストを公立学校で無くすという不確実性や訴訟があるなか、政治的に反論を招きそうな雰囲気で行われることを認識していた。ここで2つの制度上の問題(institutional issues)が挙げられる。1つは、アスベスト関連の民事責任のリスクが高いこと。2つめは、 緩和戦略に対処する研究が(HEIに認識された規制科学)、 大気汚染の健康への影響に関する基礎研究に対して、組織の主要な強調を損なう可能性である。組織がとった解決策は、Health Effects Institute-Asbestos Research (HEIAR)という新たな企業体を作ること、境界作業の究極の例だった。HEIARの取締役と科学スタッフはHEIの重役によって管理された。研究チームは、このモデルは親会社の責任を制限し、会社をアスベストの規制科学との密接な関連から守るものとして見ていた。
研究科学と規制科学との間の境界を明確にしておくHEIの必要性が、HEIARの起源で重要な役割を果たしたが、派生会社が一度建てられると、明白に境界の研究側に位置しているように、一般大衆に提示した。双方の重役会の議長であるArchibald Coxは、HEIARをかなりの独立し有能な学術団体(scientific body)であり、一般人にとって社会的関心である複雑で物議を醸し出す問題の科学的事実を追求報告する、HEIが承認したほとんどのアプローチを模倣するものだと特徴づける。
Risk Assessment without Politics p.216 政治抜きのリスク評価
規制機関(規制官庁/監督官庁)(regulatory agencies)によって、科学と政策のグレーゾーンにあるリスク評価は、古典的超科学行為をしている。しかし機関時代は、時にこの役目を独立した科学団体に議会の指導のもと委任している。皮肉にも、FDA(アメリカ食品医薬品局)は政府組織内で科学的力量で最もよい評価を得ている政府機関で、おそらく外部の専門家のような用途で幅広い経験を持つ。FDA(アメリカ食品医薬品局)は潜在的に有害薬物と食品添加物を承認する新たに締められた法令実行支援のため、National Academy of Science (全米科学アカデミー【略】NAS,1863年設立。米連邦政府に科学技術の問題に関する助言を行う)とFASEB( アメリカ実験生物学協会
)に変わった。
NAS and Drug Efficacy Review p.217
1962年のFDCAに対するKafauver-Harris Amendments修正の後、FDA(アメリカ食品医薬品局)は約4000の古い1962年前の医薬品は有効性について見直されるべきということになった。当時これを必要とする成文法は存在しなかった。FDAは見直しをするためNAS(全米科学アカデミー)と契約した。 NAS(全米科学アカデミー)は6人ずつ配置の30陪審団を設立、メンバーの多くはNASやNational Research Council(米国学術研究会議)と関係のない者だった。陪審員は有効性を6ポイントの範囲でドラッグを評定するように頼まれました。
陪審員は科学出版物、FDAや業者による情報、個人の判断や経験に頼った。FDAは一般の見直しに関する指導基準を提供したが、陪審員や彼らの評決に、評価基準や手続き上の多くの不一致があった。これでは医薬品の有効性を判断するのに不十分な証拠がそろったということである。しかも、重要な作業は驚くべき早さ、6年間で1968年に完了し、 NAS(全米科学アカデミー)は FDA(アメリカ食品医薬品局)に2800の医薬品有効性見直しに関するレポートを提出した。
アカデミーと掛け合うというFDAの決断は、大きな論争にはならなかったが、審査委員会の推薦を実行しようという政府機関の試みは、すぐに法的困難に直面した。FDAが医薬品の効力に関する実質証拠がないと決断した際、主要の論点は、医薬品承認と市場からの除去に関しての要約書失効だった。製薬業者は、NAS-NRCパネル調査結果に基づいてこのような思い切った行動を取るのは不公平であると主張した。産業のスポークスマンは、政府機関に伝えられた推薦が、すべてのアカデミーや審議会(Council)によって「非-見直し」(未審査)されたこと注目しに、大きな科学的合意より、むしろ6つのメンバーパネルの結論だけ述べていると語った。さらに、データの質と各パネルに配置された時間にから見て、調査結果の多くは、決定的な科学的事実よりも、教育を受けた意見の性質を帯びていることが明確になった。
多くの業者が、FDAが彼らの商品を制限、禁止する前に、ついに大規模な公聴会を求める法的訴訟を起こした。FDAは実質証拠の存在について事実上問題があったときにだけ、公聴会を与えるべきであるという主張で対抗した。FDAが古い医薬品の実質証拠規格をあまりにも狭く定義した、という産業の答弁は法廷を足踏みさせた。裁判官は、医薬品、治療学、科学を泥沼とみなし、明らかにやる気がなかったため、食品と医薬品の弁護士は勝利を感じていた。法廷が自動的に政府機関の専門的技術に従ったため、FDA決定の違憲立法審査権を求めるのは、役に立たずだった。この場合、FDAの判断が専門のNAS-NRCパネルによって支持されたという事実で、服従する者の裁判ケースは、強固になった。
The Review of GRAS Substances p.218
食品添加物の規制において、FDA(アメリカ食品医薬品局)は FASEB( アメリカ実験生物学協会)が行った、NAS-NRC( 全米科学アカデミー研究評議会)が1962年以前に行った評価と似通った評価をたよりにした。
The Public Board of Inquiry p.222
問い合せ公開審査会(PBOI)を試行する米国食品医薬品局(FDA)の実験は、科学的問題を解決する規則作りのメカニズムとして、公 聴会の打破から生じた。評論家は、正式な手続きの長さと非能率を指摘し、敵(相手)の手順が政府機関が国の最前の専門家と相談するこ とも許可せず、また特に科学的問題の解決に合わないと述べた。PBOIは科学者が、より大きなコントロールを科学的決定に 及ぼすことができる、それほど法律尊重主義でない代替手段として発想された。しかし、PBOIは、1987年の時点で使用は2度限り だった。一つは、人工のsweetnerアスパルテームの評価と、一つは避妊を規制するかつてのDepo-Provena の評価だった。アスパルテームに関するPBOIの慎重な分析は、手順がなぜより魅力的であると判明しなかったかを示す。
G.D.サール(アスパルテームのメーカー)は1973年の製品の承認のためにFDAについて陳情した、そして、FDAは 1974年に使用を可能にする規制案を発行したが、安全に関する疑問はジョン・オルニー、ワシントン大学の精神科医、およびジェーム ズ・S.ターナー(消費者保護運動家)によって挙げられた。
FDA特別委員会は、アスパルテームとその他いくつかの製品の試験結果に疑問投げかけるSearlの研究実戦に関する問題を報告した。FDAが甘味料に関するサールのデータの精度と信頼性を評価している間、行政手続は数年間行き詰った。政府機関は、甘 味料に関するサールの12のデータを監査するためにUAREP、病理学者の非営利の共同体と契約した。FDAは、内部で別の3つの研 究を批評して、すべての15が信頼できると結論づけた。
1979年、3人のメンバー委員はSearle, Olney, the Bureau of
Foodsによって提出された指名された人のリストから任命されました。MIT科学者の「過剰-代表」があったため、オルニーは委員 会の構成に反対した、特にbureau of foods directorと数人のsearle科学者の局が同じ学歴を共有したという事実から見て、利害の衝突に転じる可能性があった。
Winder Applications p.226
技術主義(技術系官僚)の意志決定におけるHEIとFDA実験は規制科学討論の文脈でどのように解釈されるべきか?現在の 研究基金と規則の過程を根本的に造り直すのに、この章の事例は十分合理的か?
3つのうちの2では、EPAとHEI、FDAとNAS、そしてFASEB、手続きそして制度上のアレンジメントの使用が、政 府機関に増加する効率とおそらく高められた科学的正当性に利点を与えた、十分な証拠に見える。PBOIケースの手順もまた、純便益 (便益から、そのために必要な費用を差し引いた額)をFDAに提供したが、PBOIケースは、(上記の3つ)よりあいまい。しかし、それぞれのメカニズムは慎重に一般化するための必要性に不備がある。規制科学が生み出そた唯一の専門化した問題、この問題に対応するのにそれぞれが適している、なにも科学をめぐる論争に直面した規制側のための万能薬と見なすことはない。
必修なので、履修イマしてますが、
つぎ自分がSheila Jasanoffの第10章プレゼンになりました。
教科書は英語です。
プレゼンは中国語です、あたりまえか。
でも、すーごく英語がわからないので、
訳せるところを
訳しました。
エキサイト!アルクのウェブに超お世話になりました。
感謝です。
6枚分翻訳して疲れたけど、
なんか、これでおわるのもなとおもい、
なんかくやしいので、ここにのせておこーみたいなかんじです。
自分の日本語おかしいー
ほんとにどこをプレゼンすればよいのか、わかりにくい英語です。
てか私に
ロジックが足りないのです。
訓練せねば。。。
-------------------
A Public-Private Partnership for Science p.209
研究の独立性の確保はtechnocrat技術専門家?(または技術家政治主義者/技術系出身官僚/管理職)のゴールで、あまり議論の的にならない。官僚は、規制者と政治利害団体が科学に関わる政策の産出にあまり影響しないなら、研究の独立性は幅広い関係者に受け入れられるであろうと論じた。しかし、社会的構成主義者の反論が必ずあり、当事者が賭け金に明確な利害関係をかけずに生成した知識は、確実に米国規制の解体圧力に対してもっと抵抗があるだろう。これはケンブリッジのHEI Health Effects Instituteの研究プログラムに基づいた仮説である。HEIはEPAと自動車産業により設立された。 HEIの大気汚染の規制使用のため、政治的中立確立と、科学的に完璧な知識基礎を築き上げる努力は、どんな科学政策改革の議論にも考慮に値する。
HEI’s Peer-Review Process p.210
HEIとはCharles Powersが考案したようなものである。彼はアメリカ国内で、規制科学の正当性を高める規定を2つ提出した。1つは、研究資金の決定が規制過程の反対動力から切り離された場合、科学政策をめぐる論争のレベルが減ること。2つ目に、政府と産業に独自に働く研究支援団体は、規制する当事者のいずれも有効性を疑問視しない高品質な科学を作り出せる。パワーズは1978年から、政府と産業から同等に資金を供給され、提案を検討し、助成金を授与する組織の概念を展開し始めた。彼の目的は、大気汚染物質の健康への影響の情報を国家が最高の供給元になる威信を保証するのに十分な組織を設立することだった。HEIは1980年に設立された。EPAと自動車産業が毎年約6ミリオンドルの財源を出資し、双方には大気汚染制御の分野で大きな儲けとHEIの研究プログラムの成功に共通の関心ができた。しかし、国民との信頼性を確立するために、HEIは金融のスポンサーからの独立を示す必要があった。HEIは2つの科学委員会の援助で独立を示そうとした、1つは研究助成金授与を監督する委員会、1つは研究結果を確認する委員会である。ピアリビュー取得のため、この2つの分岐した制度は、HEIは客観性のある外部の組織であることを説得する、成功する鍵になることを証明した。
HEI’s Peer-Review Process p.210
HEIのHealth Research Committeeには、組織の研究目的、優先順位、授与契約を定義する責任がある。この委員会は一応HEIの共同スポンサーからの推薦を考慮しているが、委員会はスポンサーの要求を光栄には思わない。実は独立に関する早期主張で、理事会と調査委員会は、自分の研究課題をスポンサーによる審査に提出することよりも、EPAと産業とのミーティングから脱退しました。1982年に調査委員会は、自動車の排ガスの人体への影響の科学的理解向上をするプロジェクトにRFAsの発行を開始。図10.1のように、スポンサーと一般大衆からの視点の懇願でRFAsが始まった。調査委員会はそれからやっと科学的知識の重大なギャップを識別し、RFAsの発行を通じて、研究コミュニティに提案を提出してもらう。研究設計と実験手続きprotocols見直しに続いて、委員会はプロジェクトと契約発注先を選ぶ。最初の発注は1983年に行われた。
HEIのもう一つの大黒柱である、評価委員会は1985年に正式に始動した。(組織によって資金を得たプロジェクトが具体的な実験結果を出した最初の年となった。)これは研究委員会から厳格な機能分離を維持し、評価委員会のメンバーは研究設計や評価を要求されている研究行為に関与しない。研究が完了したら、HEIの組織内スタッフによって補助された評価委員会は、研究成果の科学的調査を行い、残りの不確実性を識別し、スポンサーに研究結果を解釈するために、必要に応じて委員会を使用できるようにした。純粋な科学的仲裁者としての評価委員会の役割は、委員会を規制科学の研究の応用可能性に対する評価の分野から除外することであった。
HEI in Operation: The Multi-Center CO Study p.212
HEIの最初の十年間で、最も野心満々の研究は、multi-center一酸化炭素の研究でした。1983年に100万ドル以上の 予測された費用で開始。この調査に資金を提供するかしないかの決定は、一酸化炭素標準設定の歴史によって左右されてきた。Wilbert Aronowによって指摘された健康への影響に関するデータが問題視されたとき、EPAは評判のよい研究者によって行われた同様の研 究は、一酸化炭素露出の心臓血管系作用決定に必要なものだと定めた。Aronowの失敗は、新しく作られたHEIの機能を確認するのに理想的な機会を作りだし、そして、1983年7月にEPAは、一酸化炭素研究を求める正式な要請を出した。HEI の調査委員会はこれを一酸化炭素の正式な研究に対して、即時の政策目標を提出しなければいけないときでさえ、)組織が高品質の科学 を作り出すことを示す機会だとして歓迎した。プロジェクトは以前の失敗を補うように設計され、長所と政治に無関心な知識を形成する組織の欠点を示した。
一酸化炭素プロジェクト起動のため、HEIは調査委員会の3人のメンバーを、2人の心臓内科医、および環境生理学者から構成する小規模ながらも顕著な監視委員会を設立しました。再現性のある結果を得るというEPAの必要性は、通常の研究勧誘の習慣からの脱却を必要とした。監視委員会は何百もの申請要求を研究者に提出した。この非常に構造化された手順の目的は、必要な科学的科学的、非科学的資格を示すことのできる捜査官を選ぶことで、偏見がないことや、利害の抵触と同様に、施設と人間へのアクセスも含まれる。
プロジェクトのために選ばれた3人の実験責任者が、まさにAronow研究を複製することを勧めないと決めた。監視員会、HEIスタッフと密接に働き、3人は、一貫した方法で3つの異なる場所で行える、より厳密な手順を設計するため、大きな難問に直面した。例えば、いかに個々の対象の一酸化炭素吸収率の再現性を確保するか。Multi-centerは各実験的な暴露の際に、同一の一酸化炭素濃度と露出時間を使用する伝統的なコースを断念した。調査官は各対象の摂取速度に応じて一酸化炭素の集中が調節される方法を採用した。これは統計的に、より有力な結果を得られると考えられた方法である。
しかしこのアプローチも相当な障害にぶつかった。確実な手順を作成する過程は、HEIスタッフが予測していたよりも複雑であることが判明した。例えば、摂取速度の均等性を確実にするため、試験的実験実施は必要になった。Jane Warrenによれば、プロジェクトのマーネージャーだが、各患者の一酸化炭素ヘモグロビンを同じレベルにしようという努力は、かなり複雑で、乱暴は領域であり、まさに一酸化炭素レベルを達成しようとしている。この目標を達成するために、たくさんの計画遅延が生じた。このような複雑さが大幅に研究の長さと費用を増加させた。作業は1983年に始まったが、1985年の3月まで最初のテストは行われなかった。1987年の3月には、研究は終わり、69項目がテストされた。HEIは一酸化炭素にもとは$1万ドルの予定が最終的に$2.5万ドルを費やした。
一酸化炭素の品質保証の責任はアーサーリトルADL経営コンサルタントに委任された。ADLは品質保証の一般分野の経験と一酸化炭素実験システムに精通している経験のある組織。調査を通じて、ADLのスタッフは手順に従って、実験が行われていたの確認するために、3カ所すべての実験室を周期的に訪問した。このような監視は決して安価でなく、元ADL職員は品質保証は全体の労働費の10から20%になるのではないかと予測した。
一般にmulticenter研究の中間評価は、プロジェクトの完成が政策に決定的な影響を及ぼすという期待より、むしろ用心深い楽観主義の精神を反映した。実験責任者の一人は、研究の主要な達成とは大気汚染と健康に関する研究の一般レベルを上げることだと示唆した。EPAも、科学特効薬になる、multicenter一酸化炭素研究のために細心の注意を払った研究を一つも予想していなかった。一酸化炭素の標準改正に関して、HEIが後援した研究を含み、EPAは現在進行中の多くの研究に依存する必要があると信じていた。
HEIの第4回年間会議が1987年にあり、実験が計画通り進んでいないことが明らかになった。研究者は、再現性の確実のために適用しなければならなかった厳格な評価基準に合わせたことと、候補患者有効人口を減少させた治療進歩があって、適当な数の患者を見つけるのに苦労した。1989年11月にNew England Journal of Medicineの出版と、調査委員会が行った精密な調査により、一酸化炭素は政治関連か、健康に害があるか、空気質標準に影響するか、研究をする必要があるかについて議論が大きく展開した。研究結果は低濃度の一酸化炭素でも心臓病を煩う患者に危害を加えることが出来るという仮説を立証した。またこの患者は、厳格な基準を正当化する傾向があり、したがって潜在的に業界の利益を害す結果のある患者である。規制政治の制約の中にいる一方で、最先端の科学を産出する政策に影響を及ぼす可能性があるにもかかわらず、研究は挑戦に耐えた。
Implications of the HEI Experience p.214
HEIモデルは、生産及び規制科学を検証する伝統的な方法に取って代わるのか?1986年 General Accounting Office (GAO)米会計検査院による調査は、信頼問題は組織の主要な関心ではないだろうと述べた。61人にインタビューして、HEIは表明 した使命通り、独立を保ち、高品質の研究を行うことに成功したとGAOは表面上認めた。政策についてインタビューされた側 は、いくつかの仕事の関連性についてはあまり楽観的ではない。100個のHEIプロジェクトのランキングで、EPAは44 番目で、低、中低の関連にある。好ましくない評価の大きな原因は、研究が過度の高レベル公開(露出)を行った結果、限られ たリスク評価と以前の研究と不必要に重複した。
HEIスタッフはこの評価は当然の代償だと考えている。研究所(組織)は次第に健康への影響に関する研究の支持が減少するなか、資金 をひきつけ、非常に恵まれていた。同時にHEIの幹部は、multicenter一酸化炭素研究が唯一の評価基準となるのは非現実的であると述べた。規制科学の実用的な世界よりも、HEIの主潮は自分自身のために知識を追求する、このような研究科学用語で説明されるようになった。
GAOレポートはHEIの本質的なジレンマの症状をあらわにした。細心の手順と完全な再製可能性は、研究結果が規制組織(当局)に政策 決定を近づけさせないと、割が良いとは言えなかった。たとえば、一酸化炭素研究では、2.5万ドルは行き過ぎとみなされた、1980 年以来EPAが研究に費やした320万ドルの一部にしかすぎなかったにもかかわらず。
HEIの信頼に対するもっと差し迫った脅威は内外からの圧力である。組織は、研究課題と顧客の名簿の多様化させるために働く。最初の HEIのこれに向けた努力は、組織が調査科学と規制科学の間を目指す高感度てんびんをアピールすることだった。1988年8月、議会はEPAのためにアスベスト調査のための2ミリオンを一部条項を含めた。それは科学の品質とピアリビューの客観性を確立するために、立法者は指定されたHEIによって行われるべきだからだ。EPAの行政の要求で、HEIの取締役会(重役会)は組織がどう議会命令に応じるべきか提言するために研究チームを招集した。研究チームの最初の関心は学術用語でプロジェクトの実行可能性を評価すること、そして研究プランを開発することだったが、審理はHEI制度上のアイデンティティに対するアスベスト研究の可能な影響にも集中した。
研究チームは新しいプロジェクトが、アスベストを公立学校で無くすという不確実性や訴訟があるなか、政治的に反論を招きそうな雰囲気で行われることを認識していた。ここで2つの制度上の問題(institutional issues)が挙げられる。1つは、アスベスト関連の民事責任のリスクが高いこと。2つめは、 緩和戦略に対処する研究が(HEIに認識された規制科学)、 大気汚染の健康への影響に関する基礎研究に対して、組織の主要な強調を損なう可能性である。組織がとった解決策は、Health Effects Institute-Asbestos Research (HEIAR)という新たな企業体を作ること、境界作業の究極の例だった。HEIARの取締役と科学スタッフはHEIの重役によって管理された。研究チームは、このモデルは親会社の責任を制限し、会社をアスベストの規制科学との密接な関連から守るものとして見ていた。
研究科学と規制科学との間の境界を明確にしておくHEIの必要性が、HEIARの起源で重要な役割を果たしたが、派生会社が一度建てられると、明白に境界の研究側に位置しているように、一般大衆に提示した。双方の重役会の議長であるArchibald Coxは、HEIARをかなりの独立し有能な学術団体(scientific body)であり、一般人にとって社会的関心である複雑で物議を醸し出す問題の科学的事実を追求報告する、HEIが承認したほとんどのアプローチを模倣するものだと特徴づける。
Risk Assessment without Politics p.216 政治抜きのリスク評価
規制機関(規制官庁/監督官庁)(regulatory agencies)によって、科学と政策のグレーゾーンにあるリスク評価は、古典的超科学行為をしている。しかし機関時代は、時にこの役目を独立した科学団体に議会の指導のもと委任している。皮肉にも、FDA(アメリカ食品医薬品局)は政府組織内で科学的力量で最もよい評価を得ている政府機関で、おそらく外部の専門家のような用途で幅広い経験を持つ。FDA(アメリカ食品医薬品局)は潜在的に有害薬物と食品添加物を承認する新たに締められた法令実行支援のため、National Academy of Science (全米科学アカデミー【略】NAS,1863年設立。米連邦政府に科学技術の問題に関する助言を行う)とFASEB( アメリカ実験生物学協会
)に変わった。
NAS and Drug Efficacy Review p.217
1962年のFDCAに対するKafauver-Harris Amendments修正の後、FDA(アメリカ食品医薬品局)は約4000の古い1962年前の医薬品は有効性について見直されるべきということになった。当時これを必要とする成文法は存在しなかった。FDAは見直しをするためNAS(全米科学アカデミー)と契約した。 NAS(全米科学アカデミー)は6人ずつ配置の30陪審団を設立、メンバーの多くはNASやNational Research Council(米国学術研究会議)と関係のない者だった。陪審員は有効性を6ポイントの範囲でドラッグを評定するように頼まれました。
陪審員は科学出版物、FDAや業者による情報、個人の判断や経験に頼った。FDAは一般の見直しに関する指導基準を提供したが、陪審員や彼らの評決に、評価基準や手続き上の多くの不一致があった。これでは医薬品の有効性を判断するのに不十分な証拠がそろったということである。しかも、重要な作業は驚くべき早さ、6年間で1968年に完了し、 NAS(全米科学アカデミー)は FDA(アメリカ食品医薬品局)に2800の医薬品有効性見直しに関するレポートを提出した。
アカデミーと掛け合うというFDAの決断は、大きな論争にはならなかったが、審査委員会の推薦を実行しようという政府機関の試みは、すぐに法的困難に直面した。FDAが医薬品の効力に関する実質証拠がないと決断した際、主要の論点は、医薬品承認と市場からの除去に関しての要約書失効だった。製薬業者は、NAS-NRCパネル調査結果に基づいてこのような思い切った行動を取るのは不公平であると主張した。産業のスポークスマンは、政府機関に伝えられた推薦が、すべてのアカデミーや審議会(Council)によって「非-見直し」(未審査)されたこと注目しに、大きな科学的合意より、むしろ6つのメンバーパネルの結論だけ述べていると語った。さらに、データの質と各パネルに配置された時間にから見て、調査結果の多くは、決定的な科学的事実よりも、教育を受けた意見の性質を帯びていることが明確になった。
多くの業者が、FDAが彼らの商品を制限、禁止する前に、ついに大規模な公聴会を求める法的訴訟を起こした。FDAは実質証拠の存在について事実上問題があったときにだけ、公聴会を与えるべきであるという主張で対抗した。FDAが古い医薬品の実質証拠規格をあまりにも狭く定義した、という産業の答弁は法廷を足踏みさせた。裁判官は、医薬品、治療学、科学を泥沼とみなし、明らかにやる気がなかったため、食品と医薬品の弁護士は勝利を感じていた。法廷が自動的に政府機関の専門的技術に従ったため、FDA決定の違憲立法審査権を求めるのは、役に立たずだった。この場合、FDAの判断が専門のNAS-NRCパネルによって支持されたという事実で、服従する者の裁判ケースは、強固になった。
The Review of GRAS Substances p.218
食品添加物の規制において、FDA(アメリカ食品医薬品局)は FASEB( アメリカ実験生物学協会)が行った、NAS-NRC( 全米科学アカデミー研究評議会)が1962年以前に行った評価と似通った評価をたよりにした。
The Public Board of Inquiry p.222
問い合せ公開審査会(PBOI)を試行する米国食品医薬品局(FDA)の実験は、科学的問題を解決する規則作りのメカニズムとして、公 聴会の打破から生じた。評論家は、正式な手続きの長さと非能率を指摘し、敵(相手)の手順が政府機関が国の最前の専門家と相談するこ とも許可せず、また特に科学的問題の解決に合わないと述べた。PBOIは科学者が、より大きなコントロールを科学的決定に 及ぼすことができる、それほど法律尊重主義でない代替手段として発想された。しかし、PBOIは、1987年の時点で使用は2度限り だった。一つは、人工のsweetnerアスパルテームの評価と、一つは避妊を規制するかつてのDepo-Provena の評価だった。アスパルテームに関するPBOIの慎重な分析は、手順がなぜより魅力的であると判明しなかったかを示す。
G.D.サール(アスパルテームのメーカー)は1973年の製品の承認のためにFDAについて陳情した、そして、FDAは 1974年に使用を可能にする規制案を発行したが、安全に関する疑問はジョン・オルニー、ワシントン大学の精神科医、およびジェーム ズ・S.ターナー(消費者保護運動家)によって挙げられた。
FDA特別委員会は、アスパルテームとその他いくつかの製品の試験結果に疑問投げかけるSearlの研究実戦に関する問題を報告した。FDAが甘味料に関するサールのデータの精度と信頼性を評価している間、行政手続は数年間行き詰った。政府機関は、甘 味料に関するサールの12のデータを監査するためにUAREP、病理学者の非営利の共同体と契約した。FDAは、内部で別の3つの研 究を批評して、すべての15が信頼できると結論づけた。
1979年、3人のメンバー委員はSearle, Olney, the Bureau of
Foodsによって提出された指名された人のリストから任命されました。MIT科学者の「過剰-代表」があったため、オルニーは委員 会の構成に反対した、特にbureau of foods directorと数人のsearle科学者の局が同じ学歴を共有したという事実から見て、利害の衝突に転じる可能性があった。
Winder Applications p.226
技術主義(技術系官僚)の意志決定におけるHEIとFDA実験は規制科学討論の文脈でどのように解釈されるべきか?現在の 研究基金と規則の過程を根本的に造り直すのに、この章の事例は十分合理的か?
3つのうちの2では、EPAとHEI、FDAとNAS、そしてFASEB、手続きそして制度上のアレンジメントの使用が、政 府機関に増加する効率とおそらく高められた科学的正当性に利点を与えた、十分な証拠に見える。PBOIケースの手順もまた、純便益 (便益から、そのために必要な費用を差し引いた額)をFDAに提供したが、PBOIケースは、(上記の3つ)よりあいまい。しかし、それぞれのメカニズムは慎重に一般化するための必要性に不備がある。規制科学が生み出そた唯一の専門化した問題、この問題に対応するのにそれぞれが適している、なにも科学をめぐる論争に直面した規制側のための万能薬と見なすことはない。
2010年5月16日 星期日
日本の年金制度
必修である福祉国家のクラスで
日本の年金制度について
プレゼンすることになりました。
グループプレゼンなので、(2人で1組)
相方の優しい台湾人が台湾の部分やってくれます。
恥ずかしいことに
ぜんぜん日本の年金システムわかってません。
とにかくプレゼンのアウトライン作らんと。
1、日本の年金保険制度概要
★全国民共通/強制加入の「基礎年金」=国民年金
被保険者(保険料を支払う人)
①第1号被保険者(自営業者、農業者、学生等)
月額/定額13,300円保険料支払う
②第2号被保険者(サラリーマン、公務員等)
月収/賞与の13.58%保険料支払う
加入する制度による
③第3号被保険者(専業主婦等)
保険料は負担しない
★厚生年金と共済年金とは(サラリーマン、公務員等の被用者)
①第二号被保険者+厚生年金(サラリーマン等に適用)
②第二号被保険者+共済年金(公務員等に適用)
★国民年金の「老齢基礎年金」の受給資格期間(原則25年以上)を
満たした人には、65歳から老齢基礎年金が支給される。
満額は毎年物価スライドにより変更される。
参考資料
公的年金
http://www.i.hosei.ac.jp/~kishimot/sakamoto1.htm
2、日本の年金制度発展史(沿革)
①制度の創成
1942年 労働者年金保険法の発足
1961年 国民年金法の全面施行
②制度の充実
1965年 1万円年金の実現
1969年 2万円年金実現
1973年 物価スライド制の導入(89年に完全自動へ)
③少子化高齢化への対応
1985年 基礎年金の導入
1994年 厚生年金支給開始年齢の引き上げ
2000年 老齢厚生年金の支給開始年齢の引き上げ等給付総額の見直し
2002年 農林強制を厚生年金に統合
2004年 保険料水準固定方式の導入
参考資料
荘村明彦『社会保障入門2009』中央法規出版、2009年、148頁。
3、直面している課題
①年金記録問題
2006年通常国会で民主党により提言
2007年「宙に浮いた年金記録」5095万件発覚
2008年6月から10月「ねんきん特別便配布」
要因
ー事業主による保険料着服
ー事業主による厚生年金の標準報酬月額等の改ざん
ー社会保険事務局員による保険料着服?(事実として無いことになってる)
②年金保険料の未納
要因
ー年金制度への不安(高齢者人口の増加と少子化)
(あとたぶん日本の官僚のいろんな着服への不満)
ー失業者の増加
参考資料
http://nenkin-kiroku.jp/index.html
日本の年金制度について
プレゼンすることになりました。
グループプレゼンなので、(2人で1組)
相方の優しい台湾人が台湾の部分やってくれます。
恥ずかしいことに
ぜんぜん日本の年金システムわかってません。
とにかくプレゼンのアウトライン作らんと。
1、日本の年金保険制度概要
★全国民共通/強制加入の「基礎年金」=国民年金
被保険者(保険料を支払う人)
①第1号被保険者(自営業者、農業者、学生等)
月額/定額13,300円保険料支払う
②第2号被保険者(サラリーマン、公務員等)
月収/賞与の13.58%保険料支払う
加入する制度による
③第3号被保険者(専業主婦等)
保険料は負担しない
★厚生年金と共済年金とは(サラリーマン、公務員等の被用者)
①第二号被保険者+厚生年金(サラリーマン等に適用)
②第二号被保険者+共済年金(公務員等に適用)
★国民年金の「老齢基礎年金」の受給資格期間(原則25年以上)を
満たした人には、65歳から老齢基礎年金が支給される。
満額は毎年物価スライドにより変更される。
参考資料
公的年金
http://www.i.hosei.ac.jp/~kishimot/sakamoto1.htm
2、日本の年金制度発展史(沿革)
①制度の創成
1942年 労働者年金保険法の発足
1961年 国民年金法の全面施行
②制度の充実
1965年 1万円年金の実現
1969年 2万円年金実現
1973年 物価スライド制の導入(89年に完全自動へ)
③少子化高齢化への対応
1985年 基礎年金の導入
1994年 厚生年金支給開始年齢の引き上げ
2000年 老齢厚生年金の支給開始年齢の引き上げ等給付総額の見直し
2002年 農林強制を厚生年金に統合
2004年 保険料水準固定方式の導入
参考資料
荘村明彦『社会保障入門2009』中央法規出版、2009年、148頁。
3、直面している課題
①年金記録問題
2006年通常国会で民主党により提言
2007年「宙に浮いた年金記録」5095万件発覚
2008年6月から10月「ねんきん特別便配布」
要因
ー事業主による保険料着服
ー事業主による厚生年金の標準報酬月額等の改ざん
ー社会保険事務局員による保険料着服?(事実として無いことになってる)
②年金保険料の未納
要因
ー年金制度への不安(高齢者人口の増加と少子化)
(あとたぶん日本の官僚のいろんな着服への不満)
ー失業者の増加
参考資料
http://nenkin-kiroku.jp/index.html
2010年4月22日 星期四
台湾の汚染問題
台湾にいて学べることって
やっぱこういうことよね、
感激!
いま科学技術社会のクラスで
台湾の汚染問題をやってるのですが、
今週政治大学で展覧会があるということで
今日クラスメートと行ってきました。
誘ってくれて感謝です。
台湾のいまホットな環境問題は
台湾中部にある科学研究所。
あーもー日本語で探したら情報あった!まじ感謝!!
http://news.nna.jp/free/news/20090710twd002A.html
中部科学工業園区(中科)二林園区の建設計画に待ったがかかった。環境アセスメントで汚水処理をめぐり意見が割れ、今月末の着工は見送られた。二林園区は液晶パネルや太陽光発電を中心とした光電産業の一大集積地になると期待されているが、インフラ工事がずれ込むことで、総額6,000億台湾元に上る投資計画にも影響が出そうだ。
なぜ汚染問題に意識が高まっているかというと
RCAという事件があったからだそうです。
国策で誘致したRCAの廃液で地下水が汚染され、労働者、地域住民が様々な健康被害にあったと言う内容でしたが、その癌の発生率の多さに驚きました。 VIDEOでは、特に地下水汚染に焦点があてられていましたが、塵肺や職業性喘息、化学物質過敏症と思われるような疾病も発生していると思わせる内容でした。これほど環境を破壊して、労働者・住民の健康を破壊するものかという、ダーティーな部分を見せつけられた思いです。現在RCAはGEに合併されてしまい、きちっとした補償がなされていないということでしたが、これにも強い憤りを感じました。また、こういった問題を解決する法整備が台湾では遅れているという印象ももちました。
http://www.aozora.or.jp/kougai/taiwanmichibata.htm
中国語のRCAに関する説明はこちら
http://tw.knowledge.yahoo.com/question/question?qid=1007061404650
経済の発展と汚染問題
切実な問題っすね、
もっと勉強して
自分の意見持てるようにします
やっぱこういうことよね、
感激!
いま科学技術社会のクラスで
台湾の汚染問題をやってるのですが、
今週政治大学で展覧会があるということで
今日クラスメートと行ってきました。
誘ってくれて感謝です。
台湾のいまホットな環境問題は
台湾中部にある科学研究所。
あーもー日本語で探したら情報あった!まじ感謝!!
http://news.nna.jp/free/news/20090710twd002A.html
中部科学工業園区(中科)二林園区の建設計画に待ったがかかった。環境アセスメントで汚水処理をめぐり意見が割れ、今月末の着工は見送られた。二林園区は液晶パネルや太陽光発電を中心とした光電産業の一大集積地になると期待されているが、インフラ工事がずれ込むことで、総額6,000億台湾元に上る投資計画にも影響が出そうだ。
なぜ汚染問題に意識が高まっているかというと
RCAという事件があったからだそうです。
国策で誘致したRCAの廃液で地下水が汚染され、労働者、地域住民が様々な健康被害にあったと言う内容でしたが、その癌の発生率の多さに驚きました。 VIDEOでは、特に地下水汚染に焦点があてられていましたが、塵肺や職業性喘息、化学物質過敏症と思われるような疾病も発生していると思わせる内容でした。これほど環境を破壊して、労働者・住民の健康を破壊するものかという、ダーティーな部分を見せつけられた思いです。現在RCAはGEに合併されてしまい、きちっとした補償がなされていないということでしたが、これにも強い憤りを感じました。また、こういった問題を解決する法整備が台湾では遅れているという印象ももちました。
http://www.aozora.or.jp/kougai/taiwanmichibata.htm
中国語のRCAに関する説明はこちら
http://tw.knowledge.yahoo.com/question/question?qid=1007061404650
経済の発展と汚染問題
切実な問題っすね、
もっと勉強して
自分の意見持てるようにします
ワクチン政策
いまSTSっていう
日本語にすると科学技術社会
Science, Technology, and Societyの略がSTSだから
という必修クラスをとっています。
そこで今週
いろいろ学びました。
ワクチン政策とは
副作用で死亡患者がでたりすると
使用をやめようとか声が出てきたり
政府も手をつけにくいものだそうです。
先生が中国語で
べらべら話すので、
よくわからないので、
日本語で調べたらありましたー資料!ばんばんざい!
ありがとうございます><
元のウェブはこちらです。東大の政策ビジョン研究センターにありましたー解説!
http://pari.u-tokyo.ac.jp/policy/policyissues_bio_5.html
あともうちょっと、政府内の行政と立法がこれをめぐってあらそう
資料とか日本語で出てきてくれたら、もーまじハッピーだわぁわわわ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
WHOによれば、ワクチン接種は最も安価な感染症対策の一つとされ、目標集団をあらかじめ設定できること、生活習慣の変化などを要さないなどの特徴を持った介入手段とされる。その一方、ワクチンの副作用の問題にはじまり、ワクチンの確保、アクセスの公平性など、多様な検討を要する側面もある。H1N1 インフルエンザ(‘H1N1 flu’以下、「新型インフル」)の感染者は日を追って増加し、7月に入って5千人を突破した。感染者の大半が軽症であるためか、メディアの報道は発生当初と比べて減っているようだ。しかし、もし不幸にも死者が出れば、再び発生当初のような混乱が生じうる懸念がある。また、ワクチンの作成にまだ成功していないこと、重症者に健常だった若者が多いことなど、通常の流行とは異なる対応が求められていることは間違いない。
1.ワクチン確保の国際競争と日本
1. 「現在の世界のワクチン製造能力は、1年間で10億から20億回分のワクチンしかない」(米ウォールストリートジャーナル紙、5月16日)。季節性インフルエンザへの対応や一人当たり複数回の接種が必要であることなどを考慮すれば、新型インフルのワクチンを利用できる人びとは、たとえそれが早く完成しても、一部の人間に限られると指摘される。
2. 日本国内では、予防接種への不信感の高まりを受けて、80年代にワクチンの製造量が落ち込んだ経緯がある。その後、徐々に製造量は回復したが、日本国内でワクチンの製造を手がける4つの機関は、いずれも規模が小さく生産能力には限界がある。厚生労働省は、7月中旬に季節性インフルエンザワクチンの生産を取りやめ、新型インフルのワクチン製造に切り替えることを表明した。当初は、2009年末までに約2500万人分のワクチンを調達することができるとみていたが、のちに下方修正した(2千万人を割る見込み)。一方、ワクチン投与対象を、ほぼ国民の半数にあたる約5千万人とし、不足分を輸入する方針を発表した(7月)。
3. 日本では過去にも、海外から緊急的にワクチンを輸入したことがある(例えば、1961年の小児まひ[流行激化、国産ワクチンの不合格]、1970 年の天然痘[後遺症問題])。この時も確保する量は問題になったが、それでも接種対象者は限られており、基本的には日本のニーズに応じた判断ができた。しかし、今回は、日本以外の多くの国もワクチンの入手を希望している。現在、こうしたワクチンの入手について、経済原理以外の制約は明確でない。多くの国が、「ワクチンの確保には問題がないが、時間がかかる」と留保を付している背景には、ワクチンが完成する日程が明確でなく、またそのワクチンの性格や使用条件が分からないということに加え、ワクチンの調達をめぐる「なりふり構わない奪い合いへと発展しかねない」(英国 Guardian紙、7月17日)競争が国家間で起こっている背景がある。WHOのマーガレット・チャン事務局長は、先進国の買い占めにより貧困国が影響を受けることへの懸念を表明し、医療従事者へのワクチン接種はすべての国の医療基盤を守るために必要であること、各国が必要に応じて国内でのワクチンの配分を決定できるようにするべきことを強調している。
4. この点について、ワクチンの製造拠点が集中するヨーロッパの動向は注視される。イギリスやフランス、スウェーデン、スイスなどは、ほぼ全人口分に匹敵する量のワクチンを確保する方針を表明している(その後、ギリシャやイスラエルも同様の方針を明らかにした)。特定の国家が、世界的に不足しているワクチンを大量に確保することは、これからワクチンを入手しようとする国にとってはアクセスの妨げに他ならず、国家間での助け合いに向けた取り組みに反するものとも評されている。一方、ドイツは、人口の3分の1にあたる人数分のワクチンを確保して医療者などに配分することで対応できるとする表明を示しているが、これはワクチン不足にも配慮した妥当な数値と評されている。
5. また、ワクチンの研究開発と成果の還元を巡る議論もある。連帯の精神による国家間協力は、グローバル時代における感染症流行の抑制につながり、援助国にとっても長期的には恩恵となるという主張がその一つである(フランス国家生命倫理委員会、2009)。過去に、鳥インフルエンザのワクチン開発において、感染者が多く発生しワクチンのニーズが高い国が、ウイルス検体の提供という形でワクチンの研究開発に貢献を求められた上で、製品化されたワクチンの購入を迫られることは構造的な不公平であるとする抗議(インドネシア政府)が表明されたことがある。今回も製品開発されるワクチンの利益配分という、南北世界間での対立構造の本質は残ったままである。
6. 政府には自国民を保護する使命があるが、一方で日本は世界の中でも高度の医療体制を備える国でもある。ワクチンをどのような必要性に基づいてどれほど確保するのか、その妥当性については広く国際的視点から考えるべきである。
2.誰を優先して接種対象にするべきか
1. 予防接種法によると、予防接種は「伝染の恐れがある疾病の発生およびまん延の予防」の手段であるとされる(第一条)。他者への感染の防止が、接種を受けた本人への感染防止を通じて達成されることから、個人の健康・生命の保護と、他者及び一般社会の益との両方の側面がある。しかし、これらの両立は、接種のための完成されたワクチンが存在し、かつ資源が十分にあることが前提である。一方、資源が希少であるにもかかわらず、その資源を必要とする人が資源量以上に存在する場合、配分の順番を決める必要が生じる。「おなかをすかせた人たちがみなパイをほしがっているが、皆に行き渡る十分なパイがない場合にどのように分ければよいか」「救命ボートの数が限られている場合に誰を助けるべきか」などの古典的事例において公正な手順とは何かが問われてきた注)。ワクチンの配分についても、価値判断によって、例えば「子どもを優先するべき」(国の将来への恩恵という観点から)、「若年者層を優先するべき」(日常生活へのコストの観点から)、「健康で長く生きる者を優先」などの主張がある。一方、医療の恩恵が特定の個人に限定されるような状況は認めがたく、医学的リスクと直接関係しない基準で人を価値づけして優先順位を決定するべきではないとする反論もある(イギリス保健省インフルエンザ倫理委員会 2007年、フランス国家生命倫理委員会2009年)。
2. パンデミックの発生は必ずしも新しい現象ではないが、交通量の増大とスピード化の時代の中で、以前にも増して全地球的な検討課題となっており、各国は感染症へのワクチン投与の優先順位に関するプランを検討してきた。その中で比較的共通して挙げられてきた優先対象は主に以下の①〜③の3群である。日本では、主に①、②について詳細なリスト案が公開されている(厚生労働省「新型インフルエンザワクチン接種に関するガイドライン」2007年、内閣府「新型インフルエンザワクチン接種の進め方について(第一次案)」2008年)。
① 医療従事者 医療従事者一般をさす場合のほか、特に感染した患者との接点が多い者に限る場合などがある。
② 社会基盤の維持に従事する者 秩序や非常時のインフラ管理を担う者(治安維持、消防、運輸など)。
③ 感染による害が大きい者 新型インフルに関連して挙げられた区分としては、「妊婦」「高齢者(患者は少ないが、免疫を持たない者も多いとの所見による)」「若年者層(感染者が多い)」「児童(感染者が多い、集団行動が多い)」「乳児」「糖尿病」「肥満」。
3. 但し、実際に伝播するウイルスの性質(どのような人が感染しやすいか、重症化しやすいかなど)により、対応の仕方は大きく異なる。日本を含め、各国の政府は、過去の議論を参考にしつつも、流行が起こるたびに実情に即して、優先すべき価値を最大化する方策を検討する必要がある。そのため、過去に立案したプランをそのまま利用するというわけにはいかない。
4. 今回の新型インフルでは、感染者が死に至る割合が幸いにして少ないこともあり、各国の議論は上記のうち、特に「③感染による害が大きい者」に集中している。例えば、 WHO(2009)やイギリスの保健省(2009)による方針では、いずれも「疫学的根拠」の把握が重要視されている。流行の状況は先進国間でも大きく異なることから、日本の流行の実態に即して順番を考える必要があるだろう。
5. なお、この種の方針決定には社会的な懸念が大きいことから、流行前からの情報提供や社会の関心の向上を高めるためのインフラを整備する必要がある。たとえば、アメリカが各州・自治体に示した計画立案の指針では、流行前からの「パブリックヘルス・コミュニケーション」を通じた情報共有の重要性を指摘している(アメリカ厚生省、2005)。また、行政当局において、感染症対策における倫理問題を検討し、政策立案に関する提言を行う委員会が活動している例もある(例:アメリカCDC「公衆衛生倫理委員会」ほか、イギリス保健省「パンデミック・インフルエンザ倫理委員会」)。
3.ワクチンの試験と安全性
1. ワクチンは、病原体(ウイルス)の性質を利用した医薬品で、抗体を作るために体内に注入されるものである。日本ではワクチンそのものによる副作用等による被害が大きな社会的懸念をもたらし、その後のワクチン行政の萎縮的な運用を招いたと指摘される。
2. 現在、新型インフルに対応するワクチンはまだ完成していない。アメリカ、オーストラリア、中国によるワクチンの臨床試験計画が発表されたばかりである。現状では、注入するワクチンの量、接種後の身体への影響等、ワクチンの基本的な性格を把握するための試験に数週間から数か月を要するとされている。さらに製品化後も、実際にたくさんの人々に使用された状況で発生する問題を把握するために、市販化後調査が必要となる。
3. こうした中、通常の季節性インフルエンザが流行する時期が迫る前に、ワクチンを完成させ、かつ普及させたいという国が登場し、議論を複雑にしている。特にヨーロッパでは、感染者が集中するイギリスなどによって、安全性や有効性に関するデータ提出を簡略化した迅速審査が求められ、ヨーロッパ医薬品庁(EMA)がこれに応じて審査手順の簡略化の方針を示している。一方、WHOはこうした手法ではワクチンの質が確保できない可能性があるとして批判している。また、アメリカでは、1976年にH1N1型の豚インフルエンザが流行した際、発生した合併症によりワクチン接種事業が中断された経緯から、審査手順の簡略化に反対する世論が根強くある。日本がワクチンを輸入するとなれば、入手できる時期のみではなく、どのような試験を経たワクチンであるのか、臨床試験の質を踏まえた判断が求められるだろう。
日本語にすると科学技術社会
Science, Technology, and Societyの略がSTSだから
という必修クラスをとっています。
そこで今週
いろいろ学びました。
ワクチン政策とは
副作用で死亡患者がでたりすると
使用をやめようとか声が出てきたり
政府も手をつけにくいものだそうです。
先生が中国語で
べらべら話すので、
よくわからないので、
日本語で調べたらありましたー資料!ばんばんざい!
ありがとうございます><
元のウェブはこちらです。東大の政策ビジョン研究センターにありましたー解説!
http://pari.u-tokyo.ac.jp/policy/policyissues_bio_5.html
あともうちょっと、政府内の行政と立法がこれをめぐってあらそう
資料とか日本語で出てきてくれたら、もーまじハッピーだわぁわわわ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
WHOによれば、ワクチン接種は最も安価な感染症対策の一つとされ、目標集団をあらかじめ設定できること、生活習慣の変化などを要さないなどの特徴を持った介入手段とされる。その一方、ワクチンの副作用の問題にはじまり、ワクチンの確保、アクセスの公平性など、多様な検討を要する側面もある。H1N1 インフルエンザ(‘H1N1 flu’以下、「新型インフル」)の感染者は日を追って増加し、7月に入って5千人を突破した。感染者の大半が軽症であるためか、メディアの報道は発生当初と比べて減っているようだ。しかし、もし不幸にも死者が出れば、再び発生当初のような混乱が生じうる懸念がある。また、ワクチンの作成にまだ成功していないこと、重症者に健常だった若者が多いことなど、通常の流行とは異なる対応が求められていることは間違いない。
1.ワクチン確保の国際競争と日本
1. 「現在の世界のワクチン製造能力は、1年間で10億から20億回分のワクチンしかない」(米ウォールストリートジャーナル紙、5月16日)。季節性インフルエンザへの対応や一人当たり複数回の接種が必要であることなどを考慮すれば、新型インフルのワクチンを利用できる人びとは、たとえそれが早く完成しても、一部の人間に限られると指摘される。
2. 日本国内では、予防接種への不信感の高まりを受けて、80年代にワクチンの製造量が落ち込んだ経緯がある。その後、徐々に製造量は回復したが、日本国内でワクチンの製造を手がける4つの機関は、いずれも規模が小さく生産能力には限界がある。厚生労働省は、7月中旬に季節性インフルエンザワクチンの生産を取りやめ、新型インフルのワクチン製造に切り替えることを表明した。当初は、2009年末までに約2500万人分のワクチンを調達することができるとみていたが、のちに下方修正した(2千万人を割る見込み)。一方、ワクチン投与対象を、ほぼ国民の半数にあたる約5千万人とし、不足分を輸入する方針を発表した(7月)。
3. 日本では過去にも、海外から緊急的にワクチンを輸入したことがある(例えば、1961年の小児まひ[流行激化、国産ワクチンの不合格]、1970 年の天然痘[後遺症問題])。この時も確保する量は問題になったが、それでも接種対象者は限られており、基本的には日本のニーズに応じた判断ができた。しかし、今回は、日本以外の多くの国もワクチンの入手を希望している。現在、こうしたワクチンの入手について、経済原理以外の制約は明確でない。多くの国が、「ワクチンの確保には問題がないが、時間がかかる」と留保を付している背景には、ワクチンが完成する日程が明確でなく、またそのワクチンの性格や使用条件が分からないということに加え、ワクチンの調達をめぐる「なりふり構わない奪い合いへと発展しかねない」(英国 Guardian紙、7月17日)競争が国家間で起こっている背景がある。WHOのマーガレット・チャン事務局長は、先進国の買い占めにより貧困国が影響を受けることへの懸念を表明し、医療従事者へのワクチン接種はすべての国の医療基盤を守るために必要であること、各国が必要に応じて国内でのワクチンの配分を決定できるようにするべきことを強調している。
4. この点について、ワクチンの製造拠点が集中するヨーロッパの動向は注視される。イギリスやフランス、スウェーデン、スイスなどは、ほぼ全人口分に匹敵する量のワクチンを確保する方針を表明している(その後、ギリシャやイスラエルも同様の方針を明らかにした)。特定の国家が、世界的に不足しているワクチンを大量に確保することは、これからワクチンを入手しようとする国にとってはアクセスの妨げに他ならず、国家間での助け合いに向けた取り組みに反するものとも評されている。一方、ドイツは、人口の3分の1にあたる人数分のワクチンを確保して医療者などに配分することで対応できるとする表明を示しているが、これはワクチン不足にも配慮した妥当な数値と評されている。
5. また、ワクチンの研究開発と成果の還元を巡る議論もある。連帯の精神による国家間協力は、グローバル時代における感染症流行の抑制につながり、援助国にとっても長期的には恩恵となるという主張がその一つである(フランス国家生命倫理委員会、2009)。過去に、鳥インフルエンザのワクチン開発において、感染者が多く発生しワクチンのニーズが高い国が、ウイルス検体の提供という形でワクチンの研究開発に貢献を求められた上で、製品化されたワクチンの購入を迫られることは構造的な不公平であるとする抗議(インドネシア政府)が表明されたことがある。今回も製品開発されるワクチンの利益配分という、南北世界間での対立構造の本質は残ったままである。
6. 政府には自国民を保護する使命があるが、一方で日本は世界の中でも高度の医療体制を備える国でもある。ワクチンをどのような必要性に基づいてどれほど確保するのか、その妥当性については広く国際的視点から考えるべきである。
2.誰を優先して接種対象にするべきか
1. 予防接種法によると、予防接種は「伝染の恐れがある疾病の発生およびまん延の予防」の手段であるとされる(第一条)。他者への感染の防止が、接種を受けた本人への感染防止を通じて達成されることから、個人の健康・生命の保護と、他者及び一般社会の益との両方の側面がある。しかし、これらの両立は、接種のための完成されたワクチンが存在し、かつ資源が十分にあることが前提である。一方、資源が希少であるにもかかわらず、その資源を必要とする人が資源量以上に存在する場合、配分の順番を決める必要が生じる。「おなかをすかせた人たちがみなパイをほしがっているが、皆に行き渡る十分なパイがない場合にどのように分ければよいか」「救命ボートの数が限られている場合に誰を助けるべきか」などの古典的事例において公正な手順とは何かが問われてきた注)。ワクチンの配分についても、価値判断によって、例えば「子どもを優先するべき」(国の将来への恩恵という観点から)、「若年者層を優先するべき」(日常生活へのコストの観点から)、「健康で長く生きる者を優先」などの主張がある。一方、医療の恩恵が特定の個人に限定されるような状況は認めがたく、医学的リスクと直接関係しない基準で人を価値づけして優先順位を決定するべきではないとする反論もある(イギリス保健省インフルエンザ倫理委員会 2007年、フランス国家生命倫理委員会2009年)。
2. パンデミックの発生は必ずしも新しい現象ではないが、交通量の増大とスピード化の時代の中で、以前にも増して全地球的な検討課題となっており、各国は感染症へのワクチン投与の優先順位に関するプランを検討してきた。その中で比較的共通して挙げられてきた優先対象は主に以下の①〜③の3群である。日本では、主に①、②について詳細なリスト案が公開されている(厚生労働省「新型インフルエンザワクチン接種に関するガイドライン」2007年、内閣府「新型インフルエンザワクチン接種の進め方について(第一次案)」2008年)。
① 医療従事者 医療従事者一般をさす場合のほか、特に感染した患者との接点が多い者に限る場合などがある。
② 社会基盤の維持に従事する者 秩序や非常時のインフラ管理を担う者(治安維持、消防、運輸など)。
③ 感染による害が大きい者 新型インフルに関連して挙げられた区分としては、「妊婦」「高齢者(患者は少ないが、免疫を持たない者も多いとの所見による)」「若年者層(感染者が多い)」「児童(感染者が多い、集団行動が多い)」「乳児」「糖尿病」「肥満」。
3. 但し、実際に伝播するウイルスの性質(どのような人が感染しやすいか、重症化しやすいかなど)により、対応の仕方は大きく異なる。日本を含め、各国の政府は、過去の議論を参考にしつつも、流行が起こるたびに実情に即して、優先すべき価値を最大化する方策を検討する必要がある。そのため、過去に立案したプランをそのまま利用するというわけにはいかない。
4. 今回の新型インフルでは、感染者が死に至る割合が幸いにして少ないこともあり、各国の議論は上記のうち、特に「③感染による害が大きい者」に集中している。例えば、 WHO(2009)やイギリスの保健省(2009)による方針では、いずれも「疫学的根拠」の把握が重要視されている。流行の状況は先進国間でも大きく異なることから、日本の流行の実態に即して順番を考える必要があるだろう。
5. なお、この種の方針決定には社会的な懸念が大きいことから、流行前からの情報提供や社会の関心の向上を高めるためのインフラを整備する必要がある。たとえば、アメリカが各州・自治体に示した計画立案の指針では、流行前からの「パブリックヘルス・コミュニケーション」を通じた情報共有の重要性を指摘している(アメリカ厚生省、2005)。また、行政当局において、感染症対策における倫理問題を検討し、政策立案に関する提言を行う委員会が活動している例もある(例:アメリカCDC「公衆衛生倫理委員会」ほか、イギリス保健省「パンデミック・インフルエンザ倫理委員会」)。
3.ワクチンの試験と安全性
1. ワクチンは、病原体(ウイルス)の性質を利用した医薬品で、抗体を作るために体内に注入されるものである。日本ではワクチンそのものによる副作用等による被害が大きな社会的懸念をもたらし、その後のワクチン行政の萎縮的な運用を招いたと指摘される。
2. 現在、新型インフルに対応するワクチンはまだ完成していない。アメリカ、オーストラリア、中国によるワクチンの臨床試験計画が発表されたばかりである。現状では、注入するワクチンの量、接種後の身体への影響等、ワクチンの基本的な性格を把握するための試験に数週間から数か月を要するとされている。さらに製品化後も、実際にたくさんの人々に使用された状況で発生する問題を把握するために、市販化後調査が必要となる。
3. こうした中、通常の季節性インフルエンザが流行する時期が迫る前に、ワクチンを完成させ、かつ普及させたいという国が登場し、議論を複雑にしている。特にヨーロッパでは、感染者が集中するイギリスなどによって、安全性や有効性に関するデータ提出を簡略化した迅速審査が求められ、ヨーロッパ医薬品庁(EMA)がこれに応じて審査手順の簡略化の方針を示している。一方、WHOはこうした手法ではワクチンの質が確保できない可能性があるとして批判している。また、アメリカでは、1976年にH1N1型の豚インフルエンザが流行した際、発生した合併症によりワクチン接種事業が中断された経緯から、審査手順の簡略化に反対する世論が根強くある。日本がワクチンを輸入するとなれば、入手できる時期のみではなく、どのような試験を経たワクチンであるのか、臨床試験の質を踏まえた判断が求められるだろう。
フォーディズム
今日授業で
フォーディズム習いました。
中国語は、福特主義だそうですー
アメリカの自動車会社
フォードが始めた
大量生産、大量消費の理論です。
ま、うちらがならうのは
社会に影響してる部分だけですけど、
いっぱいわかんない中国語がでてきたー
いま復習中
授業で内容がいまいちわかんなかった。
でも、あったーー!!日本のネットありがたい!
出てきてくれましたーフォーディズム日本語解説!
この部分ごとに仕事をするよう従業員を分けるフォーディズムは
結果的に、医療機関やその他の企業にも浸透したと
授業でならって、そんなこと知らなくってびっくりーでも納得!
みなさんも、どーぞ!
もとの文章はこっからっす
http://www.geocities.jp/tang_china8/matuou.html
何かものの質を考えるときに需要と供給・量と質とが関係していることがある。情報の質というものを考えるときもそうなのではないかと思う。
とりあえず情報の質というものを考えるのに量のことを考えなければならないだろう。しかし現代、情報は量ではないといわれてきている。ここに大量生産の理念が終焉を迎えようとしている。そこでなぜ大量生産の理念(フォーディズム)が消えつつあるのか調べることにした。
1.フォーディズムとは?
まず、辞書でフォーディズムの定義を調べた。
(1)H=フォードが,大衆車の大量生産・販売を行うにあたって確立した経営理念。企業活動を社会への奉仕ととらえ,消費者に対しては良質の製品を低価格で提供した。また、労働者には可能な限り高賃金を支払い,利潤は企業に内部留保し,外部資本家による,経営の支配を避けるべきとした。
(2)大量生産,大量消費による高成長の経済体制。
フォードシステム
フォード自動車会社が採用した生産合理化方式。製品の単純化,部品の規格化,生産手段や工場の専門化,コンベヤー-システムの導入などにより,合理的経営を確立しようとするもの。
2.フォーディズムが与えた影響
世界で初めて、デフレから脱却するために公共事業を行って成功したのは、アドルフ・ヒトラーであると言われている。しかし、そのヒトラーのナチズムは、純粋に独創的な思想ではなく、フォーディズムの模倣といわれているのである。
フォーディズムという言葉は、フォード自動車会社の創設者ヘンリー・フォードの名前に由来している。現在の経済大国アメリカが、イギリスに代わって世界最大の工業国になれたのもフォーディズムのおかげである。
フォーディズムの画期的な側面は、生産効率の上昇に伴う利潤の増大を、労働者賃金の上昇に反映させた点にある。フォードが、労働者に高い賃金を払った背景には、アメリカの特殊事情があった。アメリカでは、広大な土地と豊富な木材資源を安い価格で手に入れることができたので、アメリカの農民はイギリスの農民よりも豊かであった。特に、第1次世界大戦中は、戦場となったヨーロッパへの輸出が好調だったので、農業は儲かるビジネスだった。だから、労働者に農民となることを断念させて、工場で働いてもらうには、高い賃金を払わなければならなかった。そして人件費が高いからこそ、機械化による合理化が求められたのである。
しかしフォードは高い賃金をいやいや払ったわけではなく、私財の多くを慈善活動に寄付したらしい。フォードは決して私利私欲のために起業したのではなかった。フォードの経営は、今日私たちが「日本的経営」(終身雇用制と年功序列賃金制によって特徴づけられるとされる日本企業の経営方針)と呼んでいるものに近く、株主や銀行家のために利潤を追求するのではなく、消費者に安くて良い製品を提供し、労働者に高い賃金を支払って、社会に奉仕することを経営の目標とした。このため、フォードは、外部資本が経営に介入することがないように、自己金融による経営にこだわったという。
このフォードの経営方針は成功した。高い賃金をもらった労働者たちが、その金でフォードの安価なT型自動車を買ったのである。こうして、労働者の収入が増える→自動車の需要が増える→大量生産により自動車製造のコストが下がる→自動車の価格が下がり、労働者の賃金がさらに増える→自動車がさらに売れるという循環のおかげで、ヨーロッパでは一部の金持ちの贅沢品であった自動車がアメリカでは大衆向けに大量生産される商品となった。自動車が普及すると、郊外に大きな家を建てて都心に勤務するという中産階級のライフスタイルが広まり、マイホームの建設とそこに設置する家電製品の需要が増大した。フォーディズムは家屋、洗濯機、冷蔵庫、電話、ラジオなど他の分野にも取り入れられ、アメリカは世界で最初の大衆消費社会となった。
アメリカがイギリスに先んじて大衆消費社会に移行できたもう一つの原因として、イギリスのように広大な植民地を持っていなかったことを挙げることができる。イギリスは海外に植民地をたくさん持っていたので、国内の労働者の賃金を上げて有効需要を増やす必要がなかった。マルクスが糾弾したように、イギリスの資本家は、イギリスの労働者を徹底的に搾取した。この搾取は一見するとイギリスの資本家に恩恵を与えるかのように見えるが、国内においても植民地においても消費者の大多数を極貧状態に追いやったためにイギリスの工業は衣類のような貧乏人でも買うような製品しか大量生産できない段階で停滞した。植民地はイギリスに繁栄をもたらしたのではなく、没落をもたらしたのである。
また、フォードは利潤の追求ではなく、社会奉仕を企業の使命と考える理想主義者であった。それだけにユダヤの高利貸しには反感を持っていたようである。著作『国際ユダヤ人』で彼は次のように自分とユダヤの高利貸しを対比させながら、ユダヤ人を批判している。「ユダヤ人の考えは、営業とはすなわち金であるというものだ。やつらが金儲けにとりかかっている間は、理想も何もあったものではない。ただ儲ければよいのである。ゆえに、金儲けの邪魔になるような理想家のたわごとなどには耳を貸さない。ユダヤ人以外は自発的に労働者の待遇改善に努力するが、ユダヤ人は自発的改革によって、決してびた一文たりとも支払うようなことはない」と。フォードは、フォーディズム的な労使の協調を推し進めるために企業間および国民経済間の境界上に存在するユダヤ金融という両義的存在を排除しようとした。
このフォーディズムをドイツに移植しようとした人物がいた。アドルフ・ヒトラーである。フォードは、ナチス党の運動を賞賛し、外国人としては初めてナチスに資金援助をした。一方、ヒトラーもフォードを崇拝し、事務所にフォードの肖像写真を飾っていたという。フォードの『国際ユダヤ人』は、ナチス党員の間で聖典のように読まれ、ナチスの手で数ヶ国語に翻訳されたという。ヒトラーも、『我が闘争』で『国際ユダヤ人』を引用しているのである。
1929年世界経済恐慌の波がドイツに押し寄せてくると、失業者数は600万近くになり、社会不安を背景に、ナチスが党勢を拡大していった。首相に就任したヒトラーに国民が求めたことは、失業率45%という深刻な雇用問題の解決であった。そして、ここでヒトラーはフォードのまねをした。一方で、高速道路(アウトバーン)の建設という公共事業を行い、他方で、安価な大衆車の大量生産を帝国自動車工業会に命じたのである。ドイツの労働者は、公共事業で職を得、稼いだ金で、T型フォードのドイツ版とも言うべき国民車、フォルクスワーゲン・ビートルを購入した。そして自動車の普及が消費と生産を拡大していった。ドイツの不況は克服され、1939年には失業者数も30万人と激減し、それは当時ヒトラーの奇蹟と呼ばれた。そしてヒトラーは感謝の意を表してフォードに勲章を贈っている。その後、熱狂的な大衆の支持を背景に、ヒトラーがフォードの提起した「ユダヤ人問題」に「最終的解決」を与えることになるのである。
ここにヒトラーのナチズムがフォードのフォーディズム模倣であるという所以があるのであった。ではなぜこのフォーディズムが危機なのか?
3.なぜ終焉を迎えようとしているのか?
20世紀の産業システムの特徴をしめすフォード・システムの大量生産体制が終焉し、21世紀次世代の生産システムである多品種少量生産のフレキシブル生産体制へ移行している。 フォードシステムはコストを最小限に抑える効果をねらう少品種大量生産を行った。これは量産効果を追求した結果在庫コストの増大を招いた。一方日本生産システムは、買い手の欲求に合わせて市場を作っていく多品種小量生産を行い徹底したムダの排除を特徴としている。
なぜアメリカの大量生産体制=フォーディズムが危機に陥ったかというと、それは大衆消費市場が特定差別化製品市場へと変化したこと、後発国が大量生産体制の技術を取得し低下各製品を提供しはじめたこと、世界規模での資源供給の制約が大量生産体制を困難に陥れたこと、テイラー=フォード・システムの単調反復の単純労働という労働編成が労働者から拒否されはじめたこと、そして日本的生産システムの海外進出などの理由があげられる。
4.これからの情報化社会との価値
世界に大きな影響を与えたフォードとフォーディズムは情報化社会と情報の価値にどんな影響を与えるのか?
(1)情報の性質
まず、情報化社会を考える上には社会の流動性を考える必要がある。
情報とはサービスと違って主観的は要求に応えるものではない。つまり、客観的な把握が必要ということ。これは情報が物量的ではなく、計量的という性質から出てくる。
また、情報は伝達可能なために記号を使うということである。その上、情報はそれだけで価値があるものではなく、そこから何かを作ることによっての価値があるということである。また、情報は公開されると公共財になってしまう。
(2)情報の価値
情報は経済的な役割もしている。経営を効率的にするために情報の氾濫などを防いでいる。また、情報の社会は流動的、物質的はものではないので公共の財になりやすく物質としての価値がなくなりやすい。現在情報の価値が問われているが大量生産に伴う量としての価値ではなく内容としての価値が情報の価値ではないか。また、そのことに関連してドイツのナチスをも魅了したフォーディズムも終焉を迎えたのではないか?と思う。情報はそのものに価値があるのではなく、情報を使って何を成し遂げるかに価値があると思う。それが情報の意味や価値なのではないか。と思う。
参考文献 フォードシステム
フォーディズムの危機
情報の価値論
フォーディズム習いました。
中国語は、福特主義だそうですー
アメリカの自動車会社
フォードが始めた
大量生産、大量消費の理論です。
ま、うちらがならうのは
社会に影響してる部分だけですけど、
いっぱいわかんない中国語がでてきたー
いま復習中
授業で内容がいまいちわかんなかった。
でも、あったーー!!日本のネットありがたい!
出てきてくれましたーフォーディズム日本語解説!
この部分ごとに仕事をするよう従業員を分けるフォーディズムは
結果的に、医療機関やその他の企業にも浸透したと
授業でならって、そんなこと知らなくってびっくりーでも納得!
みなさんも、どーぞ!
もとの文章はこっからっす
http://www.geocities.jp/tang_china8/matuou.html
何かものの質を考えるときに需要と供給・量と質とが関係していることがある。情報の質というものを考えるときもそうなのではないかと思う。
とりあえず情報の質というものを考えるのに量のことを考えなければならないだろう。しかし現代、情報は量ではないといわれてきている。ここに大量生産の理念が終焉を迎えようとしている。そこでなぜ大量生産の理念(フォーディズム)が消えつつあるのか調べることにした。
1.フォーディズムとは?
まず、辞書でフォーディズムの定義を調べた。
(1)H=フォードが,大衆車の大量生産・販売を行うにあたって確立した経営理念。企業活動を社会への奉仕ととらえ,消費者に対しては良質の製品を低価格で提供した。また、労働者には可能な限り高賃金を支払い,利潤は企業に内部留保し,外部資本家による,経営の支配を避けるべきとした。
(2)大量生産,大量消費による高成長の経済体制。
フォードシステム
フォード自動車会社が採用した生産合理化方式。製品の単純化,部品の規格化,生産手段や工場の専門化,コンベヤー-システムの導入などにより,合理的経営を確立しようとするもの。
2.フォーディズムが与えた影響
世界で初めて、デフレから脱却するために公共事業を行って成功したのは、アドルフ・ヒトラーであると言われている。しかし、そのヒトラーのナチズムは、純粋に独創的な思想ではなく、フォーディズムの模倣といわれているのである。
フォーディズムという言葉は、フォード自動車会社の創設者ヘンリー・フォードの名前に由来している。現在の経済大国アメリカが、イギリスに代わって世界最大の工業国になれたのもフォーディズムのおかげである。
フォーディズムの画期的な側面は、生産効率の上昇に伴う利潤の増大を、労働者賃金の上昇に反映させた点にある。フォードが、労働者に高い賃金を払った背景には、アメリカの特殊事情があった。アメリカでは、広大な土地と豊富な木材資源を安い価格で手に入れることができたので、アメリカの農民はイギリスの農民よりも豊かであった。特に、第1次世界大戦中は、戦場となったヨーロッパへの輸出が好調だったので、農業は儲かるビジネスだった。だから、労働者に農民となることを断念させて、工場で働いてもらうには、高い賃金を払わなければならなかった。そして人件費が高いからこそ、機械化による合理化が求められたのである。
しかしフォードは高い賃金をいやいや払ったわけではなく、私財の多くを慈善活動に寄付したらしい。フォードは決して私利私欲のために起業したのではなかった。フォードの経営は、今日私たちが「日本的経営」(終身雇用制と年功序列賃金制によって特徴づけられるとされる日本企業の経営方針)と呼んでいるものに近く、株主や銀行家のために利潤を追求するのではなく、消費者に安くて良い製品を提供し、労働者に高い賃金を支払って、社会に奉仕することを経営の目標とした。このため、フォードは、外部資本が経営に介入することがないように、自己金融による経営にこだわったという。
このフォードの経営方針は成功した。高い賃金をもらった労働者たちが、その金でフォードの安価なT型自動車を買ったのである。こうして、労働者の収入が増える→自動車の需要が増える→大量生産により自動車製造のコストが下がる→自動車の価格が下がり、労働者の賃金がさらに増える→自動車がさらに売れるという循環のおかげで、ヨーロッパでは一部の金持ちの贅沢品であった自動車がアメリカでは大衆向けに大量生産される商品となった。自動車が普及すると、郊外に大きな家を建てて都心に勤務するという中産階級のライフスタイルが広まり、マイホームの建設とそこに設置する家電製品の需要が増大した。フォーディズムは家屋、洗濯機、冷蔵庫、電話、ラジオなど他の分野にも取り入れられ、アメリカは世界で最初の大衆消費社会となった。
アメリカがイギリスに先んじて大衆消費社会に移行できたもう一つの原因として、イギリスのように広大な植民地を持っていなかったことを挙げることができる。イギリスは海外に植民地をたくさん持っていたので、国内の労働者の賃金を上げて有効需要を増やす必要がなかった。マルクスが糾弾したように、イギリスの資本家は、イギリスの労働者を徹底的に搾取した。この搾取は一見するとイギリスの資本家に恩恵を与えるかのように見えるが、国内においても植民地においても消費者の大多数を極貧状態に追いやったためにイギリスの工業は衣類のような貧乏人でも買うような製品しか大量生産できない段階で停滞した。植民地はイギリスに繁栄をもたらしたのではなく、没落をもたらしたのである。
また、フォードは利潤の追求ではなく、社会奉仕を企業の使命と考える理想主義者であった。それだけにユダヤの高利貸しには反感を持っていたようである。著作『国際ユダヤ人』で彼は次のように自分とユダヤの高利貸しを対比させながら、ユダヤ人を批判している。「ユダヤ人の考えは、営業とはすなわち金であるというものだ。やつらが金儲けにとりかかっている間は、理想も何もあったものではない。ただ儲ければよいのである。ゆえに、金儲けの邪魔になるような理想家のたわごとなどには耳を貸さない。ユダヤ人以外は自発的に労働者の待遇改善に努力するが、ユダヤ人は自発的改革によって、決してびた一文たりとも支払うようなことはない」と。フォードは、フォーディズム的な労使の協調を推し進めるために企業間および国民経済間の境界上に存在するユダヤ金融という両義的存在を排除しようとした。
このフォーディズムをドイツに移植しようとした人物がいた。アドルフ・ヒトラーである。フォードは、ナチス党の運動を賞賛し、外国人としては初めてナチスに資金援助をした。一方、ヒトラーもフォードを崇拝し、事務所にフォードの肖像写真を飾っていたという。フォードの『国際ユダヤ人』は、ナチス党員の間で聖典のように読まれ、ナチスの手で数ヶ国語に翻訳されたという。ヒトラーも、『我が闘争』で『国際ユダヤ人』を引用しているのである。
1929年世界経済恐慌の波がドイツに押し寄せてくると、失業者数は600万近くになり、社会不安を背景に、ナチスが党勢を拡大していった。首相に就任したヒトラーに国民が求めたことは、失業率45%という深刻な雇用問題の解決であった。そして、ここでヒトラーはフォードのまねをした。一方で、高速道路(アウトバーン)の建設という公共事業を行い、他方で、安価な大衆車の大量生産を帝国自動車工業会に命じたのである。ドイツの労働者は、公共事業で職を得、稼いだ金で、T型フォードのドイツ版とも言うべき国民車、フォルクスワーゲン・ビートルを購入した。そして自動車の普及が消費と生産を拡大していった。ドイツの不況は克服され、1939年には失業者数も30万人と激減し、それは当時ヒトラーの奇蹟と呼ばれた。そしてヒトラーは感謝の意を表してフォードに勲章を贈っている。その後、熱狂的な大衆の支持を背景に、ヒトラーがフォードの提起した「ユダヤ人問題」に「最終的解決」を与えることになるのである。
ここにヒトラーのナチズムがフォードのフォーディズム模倣であるという所以があるのであった。ではなぜこのフォーディズムが危機なのか?
3.なぜ終焉を迎えようとしているのか?
20世紀の産業システムの特徴をしめすフォード・システムの大量生産体制が終焉し、21世紀次世代の生産システムである多品種少量生産のフレキシブル生産体制へ移行している。 フォードシステムはコストを最小限に抑える効果をねらう少品種大量生産を行った。これは量産効果を追求した結果在庫コストの増大を招いた。一方日本生産システムは、買い手の欲求に合わせて市場を作っていく多品種小量生産を行い徹底したムダの排除を特徴としている。
なぜアメリカの大量生産体制=フォーディズムが危機に陥ったかというと、それは大衆消費市場が特定差別化製品市場へと変化したこと、後発国が大量生産体制の技術を取得し低下各製品を提供しはじめたこと、世界規模での資源供給の制約が大量生産体制を困難に陥れたこと、テイラー=フォード・システムの単調反復の単純労働という労働編成が労働者から拒否されはじめたこと、そして日本的生産システムの海外進出などの理由があげられる。
4.これからの情報化社会との価値
世界に大きな影響を与えたフォードとフォーディズムは情報化社会と情報の価値にどんな影響を与えるのか?
(1)情報の性質
まず、情報化社会を考える上には社会の流動性を考える必要がある。
情報とはサービスと違って主観的は要求に応えるものではない。つまり、客観的な把握が必要ということ。これは情報が物量的ではなく、計量的という性質から出てくる。
また、情報は伝達可能なために記号を使うということである。その上、情報はそれだけで価値があるものではなく、そこから何かを作ることによっての価値があるということである。また、情報は公開されると公共財になってしまう。
(2)情報の価値
情報は経済的な役割もしている。経営を効率的にするために情報の氾濫などを防いでいる。また、情報の社会は流動的、物質的はものではないので公共の財になりやすく物質としての価値がなくなりやすい。現在情報の価値が問われているが大量生産に伴う量としての価値ではなく内容としての価値が情報の価値ではないか。また、そのことに関連してドイツのナチスをも魅了したフォーディズムも終焉を迎えたのではないか?と思う。情報はそのものに価値があるのではなく、情報を使って何を成し遂げるかに価値があると思う。それが情報の意味や価値なのではないか。と思う。
参考文献 フォードシステム
フォーディズムの危機
情報の価値論
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