大学によって違うみたいですが、
うちの今通っている大学は
ちゃりが必需品であります。
良い自転車は、盗まれる
ということで、彼が400元の中古のちゃりを
並んで買ってくれました。
それを今を使っていますが、
ペダル(たーばんっていう発音)
が故障しました。
回りにくい。
で、修理にもってたら
油自分で挿せ、それでもダメだったら
またきなーと言われました。
你自己插油看看,還是不行的話,在來阿
で、油がおいてあるところにいくと
手にどっからかトイレットペーパーをがっぽりもっている人が
②人並んでました。
えー手がよごれるんだ。
でも、うちの番のとき、前の人がティッシュを
残しておいてくれて
それをペダルに注ぎました。
すっげー
ペダルが軽くなったーーー
こんなんでなおるんですね。
うちの故郷に帰ったら
チャリの修理の知恵をほかの人に教えられちゃうよー
すげー発見。
嬉しすぎて、気分がやばくなりました。
もっと早く知っていれば。。。しかも無料だったのか。。。
2010年5月30日 星期日
海鮮料理の老舗、新東南海鮮
photo resource:
http://tw.myblog.yahoo.com/jw!MxcCMu2BBRIdXZYHsd0poVsX/article?mid=1611
(sorry i rather use Taiwanese professional photoshot cuz my camera is out of date)
行って来てしまいましたー
新東南海鮮店
http://www.newdongnan.com/index.html
台北市汀州路一段105號
3日前に予約しないと
席が取れないっていう
お店。
院の先輩のおごりです。
留学生なので、おごっていただきました。
あざっす!
先輩と話してて
あんまり味のことを考えてませんでした。
しかもがんがん飲め、飲めと
乾杯ばっかりだったので。
でも、先輩が教えてくれた
良い台湾がほこるお店なので
ここに記録。
蟹がいっぱいあった気が。
2週間、たつの早いなー
北投の貴子坑鄉村温泉
ブログの更新が遅れてしまって
申し訳ないのですが、
誕生日を5月中旬に迎えた私に、
ダーリンが車を運転して
温泉に連れて行ってくれましたー
貴子カントリークラブです。
坂、坂、坂、の上。
ゴルフ上もありまちたー
お肌すべすべー
お湯にかなりのぬめりがある
紫色みたいなお湯。。
良かったんだけど、
おもしろいー
①自分たちで、お湯を入れる前に
浴槽をごしごし掃除しないといけない。
②部屋が並んでて、壁が木材
しかも上部はすかすか構造なので、
隣の方の音が聞こえる。
わたくし、青リンゴが入った個室のお隣は
ごしごし床をあらってる、声からすると
中年のカップル。
だから、なんもできなーい、と思いましたが、
無言でこそこそラブラブし合うのもいいもんでした。
温泉だし。
貴子カントリークラブのウェブです。
http://www.gtkclub.com.tw/news.htm
申し訳ないのですが、
誕生日を5月中旬に迎えた私に、
ダーリンが車を運転して
温泉に連れて行ってくれましたー
貴子カントリークラブです。
坂、坂、坂、の上。
ゴルフ上もありまちたー
お肌すべすべー
お湯にかなりのぬめりがある
紫色みたいなお湯。。
良かったんだけど、
おもしろいー
①自分たちで、お湯を入れる前に
浴槽をごしごし掃除しないといけない。
②部屋が並んでて、壁が木材
しかも上部はすかすか構造なので、
隣の方の音が聞こえる。
わたくし、青リンゴが入った個室のお隣は
ごしごし床をあらってる、声からすると
中年のカップル。
だから、なんもできなーい、と思いましたが、
無言でこそこそラブラブし合うのもいいもんでした。
温泉だし。
貴子カントリークラブのウェブです。
http://www.gtkclub.com.tw/news.htm
2010年5月29日 星期六
日本年金の問題点とは?
これは、期末で日本の年金をプレゼンするために
読んでいる本の内容です。
タイトル:東アジアの社会保障
作者:埋橋孝文・木村清美・戸谷裕之 編
2009年
ナカニシヤ出版
はじめにから
・日本、韓国、台湾は、欧米と比べて「開発主義」的側面が強く、
遅れてきた福祉国家である。
・日本は「失われた10年」を通して、小泉政権の下で労働の規制緩和、
社会保障予算の削減が進められた
第3章 斎藤立滋 日本の社会保障制度の現状と課題より
・(p60)社会保障給付全体に占める「年金(高齢)」の比重は、
先進諸国のなかでもっとも大きい。
・社会保険の負担と給付の区別を不明確にし、
世代間格差を生む原因⇒社会保障制度に相当額の税が投入
基礎年金の3分の1、介護保険の2分の1が税
・(p60)社会保険が機能不全
①財政方式が賦課方式⇒少子化⇒保険料収入が減少⇒給付額が増加
②原則、正社員雇用して保険料納付⇒1990年代後半以降「雇用形態の多様化」
・(p62)5つの排除
①社会保険からの排除(保険料未払い、雇用先会社の未加入)
②公的扶助からの排除(生活保護の申請資格の厳格化)
③企業福祉からの排除(非正社員は福利厚生なし)
④家族福祉からの排除(単身者、パラサイトシングル増加)
⑤自分からの解除(希望喪失)
・(p62)政府が行うべきは、本来の目的である
「高齢者の最低限の生活保障」=「基礎年金の保障」
基礎年金は、所得再配分の観点から、税を財源とするのが望ましい。
読んでいる本の内容です。
タイトル:東アジアの社会保障
作者:埋橋孝文・木村清美・戸谷裕之 編
2009年
ナカニシヤ出版
はじめにから
・日本、韓国、台湾は、欧米と比べて「開発主義」的側面が強く、
遅れてきた福祉国家である。
・日本は「失われた10年」を通して、小泉政権の下で労働の規制緩和、
社会保障予算の削減が進められた
第3章 斎藤立滋 日本の社会保障制度の現状と課題より
・(p60)社会保障給付全体に占める「年金(高齢)」の比重は、
先進諸国のなかでもっとも大きい。
・社会保険の負担と給付の区別を不明確にし、
世代間格差を生む原因⇒社会保障制度に相当額の税が投入
基礎年金の3分の1、介護保険の2分の1が税
・(p60)社会保険が機能不全
①財政方式が賦課方式⇒少子化⇒保険料収入が減少⇒給付額が増加
②原則、正社員雇用して保険料納付⇒1990年代後半以降「雇用形態の多様化」
・(p62)5つの排除
①社会保険からの排除(保険料未払い、雇用先会社の未加入)
②公的扶助からの排除(生活保護の申請資格の厳格化)
③企業福祉からの排除(非正社員は福利厚生なし)
④家族福祉からの排除(単身者、パラサイトシングル増加)
⑤自分からの解除(希望喪失)
・(p62)政府が行うべきは、本来の目的である
「高齢者の最低限の生活保障」=「基礎年金の保障」
基礎年金は、所得再配分の観点から、税を財源とするのが望ましい。
2010年5月25日 星期二
ECFAについて
両岸経済協力枠組協定ECFAについて
先生や同級生が言ってたこと
そのまえに、
日本語での概要(まとまってるー)
http://jp.fujitsu.com/group/fri/report/china-research/topics/2009/no-124.html
・ECFAは台湾が中国を、この締結を通じて
台湾の民主化影響を中国の一般市民に浸透させる
植民地政策のようなものではないか?(学生より)
・日本のFTAのように
農地を大量生産用に変化させるために
海外と貿易協定を締結するという意図はない(うちの質問への返答)
・民進党はECFAを進行するのに有利な立場を確保している
台湾の一般市民を捨てないという支持があるから(先生より)
・国民党が中国と組もうというのは、自然な流れ。
すでに民進党はアメリカ、カナダ、日本にFTA締結を
断られている。民進党も次に協議する相手は中国だと思っていた。
でも、テレビでの馬英九と小英の討論のなかで、
なぜ国民党は中国に走るのかと民進党が攻撃してた。
なぜWTOの枠組みで他の東南アジアの国と締結しないのかと。(学生より)
・台湾は国内だけで産業を稼働させ、国内消費を刺激し
国内だけでGDPを伸ばすことは不可能。何らかの対外貿易が必要。
今台湾を国と認めている外国との貿易はGDPの100分の1くらいの利益にしか
ならない。(学生より)
・農家が受けるであろう失業への福祉厚生対策がまだ発表されてない。(学生より)
・台湾国内に、どうしたら、対外貿易に頼らずともGDPを上げるだけの
新産業ができるのか?台湾の文化を利用したカメラ産業、ソフトパワーは
もっと海外で設けられるのではないか?科学技術には就職口はない、
観光業をもっと盛んにしてはどうか?(学生より)
・台湾の介護産業にはもっと働き手が必要だが
インドネシアからの外国人労働者で間に合っている。(学生、先生より)
・
先生や同級生が言ってたこと
そのまえに、
日本語での概要(まとまってるー)
http://jp.fujitsu.com/group/fri/report/china-research/topics/2009/no-124.html
・ECFAは台湾が中国を、この締結を通じて
台湾の民主化影響を中国の一般市民に浸透させる
植民地政策のようなものではないか?(学生より)
・日本のFTAのように
農地を大量生産用に変化させるために
海外と貿易協定を締結するという意図はない(うちの質問への返答)
・民進党はECFAを進行するのに有利な立場を確保している
台湾の一般市民を捨てないという支持があるから(先生より)
・国民党が中国と組もうというのは、自然な流れ。
すでに民進党はアメリカ、カナダ、日本にFTA締結を
断られている。民進党も次に協議する相手は中国だと思っていた。
でも、テレビでの馬英九と小英の討論のなかで、
なぜ国民党は中国に走るのかと民進党が攻撃してた。
なぜWTOの枠組みで他の東南アジアの国と締結しないのかと。(学生より)
・台湾は国内だけで産業を稼働させ、国内消費を刺激し
国内だけでGDPを伸ばすことは不可能。何らかの対外貿易が必要。
今台湾を国と認めている外国との貿易はGDPの100分の1くらいの利益にしか
ならない。(学生より)
・農家が受けるであろう失業への福祉厚生対策がまだ発表されてない。(学生より)
・台湾国内に、どうしたら、対外貿易に頼らずともGDPを上げるだけの
新産業ができるのか?台湾の文化を利用したカメラ産業、ソフトパワーは
もっと海外で設けられるのではないか?科学技術には就職口はない、
観光業をもっと盛んにしてはどうか?(学生より)
・台湾の介護産業にはもっと働き手が必要だが
インドネシアからの外国人労働者で間に合っている。(学生、先生より)
・
利益の衝突 とは
今日オゾン層の被害が
どこから始まるのか、
その数値を決めるときの政策を授業で
やりました。(たぶん)
先生が
conflict of interest
利益衝突(中国語)
↑
利益の衝突について
ちゃんと理解しなさいと言ってました。
ありがとー日本のヤフーちゃんと説明ありまちたー
参考資料
http://www.jia.or.jp/web/nishibe5.htm
「 Conflict of Interest(利益の衝突)という言葉があります。本来は公人としての立場と私人としての立場で同一人の中で利益が衝突する状態を言います。例えば建設大臣が大手建設業の社長であったり、郵政大臣が放送会社の大株主である場合、政治家として国家、国民の利益を優先させる立場にありながら、経営者、株主としての立場からは自分の会社に有利な政策を選ぶ可能性があります。本人自身も自己撞着で悩まなければならないので、このような利益の衝突が起こるような人事は避けるのが常識です。
設計施工における工事監理者は典型的な Conflict of Interest に該当しています。監理者として建築士法を守ろうとすれば建築主の立場に立って建築主の利益を守ることになります。同時に監理者は施工会社の社員であれば会社の利益を守る義務があります。建築主の利益と会社の利益が衝突し監理者は悩んだ挙句に会社を選ぶでしょう。この場合は人事の問題ではなく、建築士法そのものに矛盾があるからです。この矛盾を無くする方法は三つあります。一つは設計施工の兼業を禁止することです。そうすれば施工会社から監理者が出ることも無くなります。次の方法は設計施工の場合は監理者を第三者から選ばなければならないとすることです。何れの方法も施工者サイドから既得権を奪うことになり猛反対が予測されるので最後の方法を提案します。設計施工に限って工事監理は要らないことにすればよいのです。設計施工は施工会社のブランドでパッケージ販売をするものですから、トータルで責任を持たせれば良いわけで、それが不安な人は買わなければ良いのです。アーキテクト(建築家)が設計監理を独立した形で行うのは、利益の衝突を生まない最もシンプルで基本的な建築工事の姿です。」
どこから始まるのか、
その数値を決めるときの政策を授業で
やりました。(たぶん)
先生が
conflict of interest
利益衝突(中国語)
↑
利益の衝突について
ちゃんと理解しなさいと言ってました。
ありがとー日本のヤフーちゃんと説明ありまちたー
参考資料
http://www.jia.or.jp/web/nishibe5.htm
「 Conflict of Interest(利益の衝突)という言葉があります。本来は公人としての立場と私人としての立場で同一人の中で利益が衝突する状態を言います。例えば建設大臣が大手建設業の社長であったり、郵政大臣が放送会社の大株主である場合、政治家として国家、国民の利益を優先させる立場にありながら、経営者、株主としての立場からは自分の会社に有利な政策を選ぶ可能性があります。本人自身も自己撞着で悩まなければならないので、このような利益の衝突が起こるような人事は避けるのが常識です。
設計施工における工事監理者は典型的な Conflict of Interest に該当しています。監理者として建築士法を守ろうとすれば建築主の立場に立って建築主の利益を守ることになります。同時に監理者は施工会社の社員であれば会社の利益を守る義務があります。建築主の利益と会社の利益が衝突し監理者は悩んだ挙句に会社を選ぶでしょう。この場合は人事の問題ではなく、建築士法そのものに矛盾があるからです。この矛盾を無くする方法は三つあります。一つは設計施工の兼業を禁止することです。そうすれば施工会社から監理者が出ることも無くなります。次の方法は設計施工の場合は監理者を第三者から選ばなければならないとすることです。何れの方法も施工者サイドから既得権を奪うことになり猛反対が予測されるので最後の方法を提案します。設計施工に限って工事監理は要らないことにすればよいのです。設計施工は施工会社のブランドでパッケージ販売をするものですから、トータルで責任を持たせれば良いわけで、それが不安な人は買わなければ良いのです。アーキテクト(建築家)が設計監理を独立した形で行うのは、利益の衝突を生まない最もシンプルで基本的な建築工事の姿です。」
2010年5月23日 星期日
2010年5月19日 星期三
技術家主義の再検討
科学技術と社会のクラスを
必修なので、履修イマしてますが、
つぎ自分がSheila Jasanoffの第10章プレゼンになりました。
教科書は英語です。
プレゼンは中国語です、あたりまえか。
でも、すーごく英語がわからないので、
訳せるところを
訳しました。
エキサイト!アルクのウェブに超お世話になりました。
感謝です。
6枚分翻訳して疲れたけど、
なんか、これでおわるのもなとおもい、
なんかくやしいので、ここにのせておこーみたいなかんじです。
自分の日本語おかしいー
ほんとにどこをプレゼンすればよいのか、わかりにくい英語です。
てか私に
ロジックが足りないのです。
訓練せねば。。。
-------------------
A Public-Private Partnership for Science p.209
研究の独立性の確保はtechnocrat技術専門家?(または技術家政治主義者/技術系出身官僚/管理職)のゴールで、あまり議論の的にならない。官僚は、規制者と政治利害団体が科学に関わる政策の産出にあまり影響しないなら、研究の独立性は幅広い関係者に受け入れられるであろうと論じた。しかし、社会的構成主義者の反論が必ずあり、当事者が賭け金に明確な利害関係をかけずに生成した知識は、確実に米国規制の解体圧力に対してもっと抵抗があるだろう。これはケンブリッジのHEI Health Effects Instituteの研究プログラムに基づいた仮説である。HEIはEPAと自動車産業により設立された。 HEIの大気汚染の規制使用のため、政治的中立確立と、科学的に完璧な知識基礎を築き上げる努力は、どんな科学政策改革の議論にも考慮に値する。
HEI’s Peer-Review Process p.210
HEIとはCharles Powersが考案したようなものである。彼はアメリカ国内で、規制科学の正当性を高める規定を2つ提出した。1つは、研究資金の決定が規制過程の反対動力から切り離された場合、科学政策をめぐる論争のレベルが減ること。2つ目に、政府と産業に独自に働く研究支援団体は、規制する当事者のいずれも有効性を疑問視しない高品質な科学を作り出せる。パワーズは1978年から、政府と産業から同等に資金を供給され、提案を検討し、助成金を授与する組織の概念を展開し始めた。彼の目的は、大気汚染物質の健康への影響の情報を国家が最高の供給元になる威信を保証するのに十分な組織を設立することだった。HEIは1980年に設立された。EPAと自動車産業が毎年約6ミリオンドルの財源を出資し、双方には大気汚染制御の分野で大きな儲けとHEIの研究プログラムの成功に共通の関心ができた。しかし、国民との信頼性を確立するために、HEIは金融のスポンサーからの独立を示す必要があった。HEIは2つの科学委員会の援助で独立を示そうとした、1つは研究助成金授与を監督する委員会、1つは研究結果を確認する委員会である。ピアリビュー取得のため、この2つの分岐した制度は、HEIは客観性のある外部の組織であることを説得する、成功する鍵になることを証明した。
HEI’s Peer-Review Process p.210
HEIのHealth Research Committeeには、組織の研究目的、優先順位、授与契約を定義する責任がある。この委員会は一応HEIの共同スポンサーからの推薦を考慮しているが、委員会はスポンサーの要求を光栄には思わない。実は独立に関する早期主張で、理事会と調査委員会は、自分の研究課題をスポンサーによる審査に提出することよりも、EPAと産業とのミーティングから脱退しました。1982年に調査委員会は、自動車の排ガスの人体への影響の科学的理解向上をするプロジェクトにRFAsの発行を開始。図10.1のように、スポンサーと一般大衆からの視点の懇願でRFAsが始まった。調査委員会はそれからやっと科学的知識の重大なギャップを識別し、RFAsの発行を通じて、研究コミュニティに提案を提出してもらう。研究設計と実験手続きprotocols見直しに続いて、委員会はプロジェクトと契約発注先を選ぶ。最初の発注は1983年に行われた。
HEIのもう一つの大黒柱である、評価委員会は1985年に正式に始動した。(組織によって資金を得たプロジェクトが具体的な実験結果を出した最初の年となった。)これは研究委員会から厳格な機能分離を維持し、評価委員会のメンバーは研究設計や評価を要求されている研究行為に関与しない。研究が完了したら、HEIの組織内スタッフによって補助された評価委員会は、研究成果の科学的調査を行い、残りの不確実性を識別し、スポンサーに研究結果を解釈するために、必要に応じて委員会を使用できるようにした。純粋な科学的仲裁者としての評価委員会の役割は、委員会を規制科学の研究の応用可能性に対する評価の分野から除外することであった。
HEI in Operation: The Multi-Center CO Study p.212
HEIの最初の十年間で、最も野心満々の研究は、multi-center一酸化炭素の研究でした。1983年に100万ドル以上の 予測された費用で開始。この調査に資金を提供するかしないかの決定は、一酸化炭素標準設定の歴史によって左右されてきた。Wilbert Aronowによって指摘された健康への影響に関するデータが問題視されたとき、EPAは評判のよい研究者によって行われた同様の研 究は、一酸化炭素露出の心臓血管系作用決定に必要なものだと定めた。Aronowの失敗は、新しく作られたHEIの機能を確認するのに理想的な機会を作りだし、そして、1983年7月にEPAは、一酸化炭素研究を求める正式な要請を出した。HEI の調査委員会はこれを一酸化炭素の正式な研究に対して、即時の政策目標を提出しなければいけないときでさえ、)組織が高品質の科学 を作り出すことを示す機会だとして歓迎した。プロジェクトは以前の失敗を補うように設計され、長所と政治に無関心な知識を形成する組織の欠点を示した。
一酸化炭素プロジェクト起動のため、HEIは調査委員会の3人のメンバーを、2人の心臓内科医、および環境生理学者から構成する小規模ながらも顕著な監視委員会を設立しました。再現性のある結果を得るというEPAの必要性は、通常の研究勧誘の習慣からの脱却を必要とした。監視委員会は何百もの申請要求を研究者に提出した。この非常に構造化された手順の目的は、必要な科学的科学的、非科学的資格を示すことのできる捜査官を選ぶことで、偏見がないことや、利害の抵触と同様に、施設と人間へのアクセスも含まれる。
プロジェクトのために選ばれた3人の実験責任者が、まさにAronow研究を複製することを勧めないと決めた。監視員会、HEIスタッフと密接に働き、3人は、一貫した方法で3つの異なる場所で行える、より厳密な手順を設計するため、大きな難問に直面した。例えば、いかに個々の対象の一酸化炭素吸収率の再現性を確保するか。Multi-centerは各実験的な暴露の際に、同一の一酸化炭素濃度と露出時間を使用する伝統的なコースを断念した。調査官は各対象の摂取速度に応じて一酸化炭素の集中が調節される方法を採用した。これは統計的に、より有力な結果を得られると考えられた方法である。
しかしこのアプローチも相当な障害にぶつかった。確実な手順を作成する過程は、HEIスタッフが予測していたよりも複雑であることが判明した。例えば、摂取速度の均等性を確実にするため、試験的実験実施は必要になった。Jane Warrenによれば、プロジェクトのマーネージャーだが、各患者の一酸化炭素ヘモグロビンを同じレベルにしようという努力は、かなり複雑で、乱暴は領域であり、まさに一酸化炭素レベルを達成しようとしている。この目標を達成するために、たくさんの計画遅延が生じた。このような複雑さが大幅に研究の長さと費用を増加させた。作業は1983年に始まったが、1985年の3月まで最初のテストは行われなかった。1987年の3月には、研究は終わり、69項目がテストされた。HEIは一酸化炭素にもとは$1万ドルの予定が最終的に$2.5万ドルを費やした。
一酸化炭素の品質保証の責任はアーサーリトルADL経営コンサルタントに委任された。ADLは品質保証の一般分野の経験と一酸化炭素実験システムに精通している経験のある組織。調査を通じて、ADLのスタッフは手順に従って、実験が行われていたの確認するために、3カ所すべての実験室を周期的に訪問した。このような監視は決して安価でなく、元ADL職員は品質保証は全体の労働費の10から20%になるのではないかと予測した。
一般にmulticenter研究の中間評価は、プロジェクトの完成が政策に決定的な影響を及ぼすという期待より、むしろ用心深い楽観主義の精神を反映した。実験責任者の一人は、研究の主要な達成とは大気汚染と健康に関する研究の一般レベルを上げることだと示唆した。EPAも、科学特効薬になる、multicenter一酸化炭素研究のために細心の注意を払った研究を一つも予想していなかった。一酸化炭素の標準改正に関して、HEIが後援した研究を含み、EPAは現在進行中の多くの研究に依存する必要があると信じていた。
HEIの第4回年間会議が1987年にあり、実験が計画通り進んでいないことが明らかになった。研究者は、再現性の確実のために適用しなければならなかった厳格な評価基準に合わせたことと、候補患者有効人口を減少させた治療進歩があって、適当な数の患者を見つけるのに苦労した。1989年11月にNew England Journal of Medicineの出版と、調査委員会が行った精密な調査により、一酸化炭素は政治関連か、健康に害があるか、空気質標準に影響するか、研究をする必要があるかについて議論が大きく展開した。研究結果は低濃度の一酸化炭素でも心臓病を煩う患者に危害を加えることが出来るという仮説を立証した。またこの患者は、厳格な基準を正当化する傾向があり、したがって潜在的に業界の利益を害す結果のある患者である。規制政治の制約の中にいる一方で、最先端の科学を産出する政策に影響を及ぼす可能性があるにもかかわらず、研究は挑戦に耐えた。
Implications of the HEI Experience p.214
HEIモデルは、生産及び規制科学を検証する伝統的な方法に取って代わるのか?1986年 General Accounting Office (GAO)米会計検査院による調査は、信頼問題は組織の主要な関心ではないだろうと述べた。61人にインタビューして、HEIは表明 した使命通り、独立を保ち、高品質の研究を行うことに成功したとGAOは表面上認めた。政策についてインタビューされた側 は、いくつかの仕事の関連性についてはあまり楽観的ではない。100個のHEIプロジェクトのランキングで、EPAは44 番目で、低、中低の関連にある。好ましくない評価の大きな原因は、研究が過度の高レベル公開(露出)を行った結果、限られ たリスク評価と以前の研究と不必要に重複した。
HEIスタッフはこの評価は当然の代償だと考えている。研究所(組織)は次第に健康への影響に関する研究の支持が減少するなか、資金 をひきつけ、非常に恵まれていた。同時にHEIの幹部は、multicenter一酸化炭素研究が唯一の評価基準となるのは非現実的であると述べた。規制科学の実用的な世界よりも、HEIの主潮は自分自身のために知識を追求する、このような研究科学用語で説明されるようになった。
GAOレポートはHEIの本質的なジレンマの症状をあらわにした。細心の手順と完全な再製可能性は、研究結果が規制組織(当局)に政策 決定を近づけさせないと、割が良いとは言えなかった。たとえば、一酸化炭素研究では、2.5万ドルは行き過ぎとみなされた、1980 年以来EPAが研究に費やした320万ドルの一部にしかすぎなかったにもかかわらず。
HEIの信頼に対するもっと差し迫った脅威は内外からの圧力である。組織は、研究課題と顧客の名簿の多様化させるために働く。最初の HEIのこれに向けた努力は、組織が調査科学と規制科学の間を目指す高感度てんびんをアピールすることだった。1988年8月、議会はEPAのためにアスベスト調査のための2ミリオンを一部条項を含めた。それは科学の品質とピアリビューの客観性を確立するために、立法者は指定されたHEIによって行われるべきだからだ。EPAの行政の要求で、HEIの取締役会(重役会)は組織がどう議会命令に応じるべきか提言するために研究チームを招集した。研究チームの最初の関心は学術用語でプロジェクトの実行可能性を評価すること、そして研究プランを開発することだったが、審理はHEI制度上のアイデンティティに対するアスベスト研究の可能な影響にも集中した。
研究チームは新しいプロジェクトが、アスベストを公立学校で無くすという不確実性や訴訟があるなか、政治的に反論を招きそうな雰囲気で行われることを認識していた。ここで2つの制度上の問題(institutional issues)が挙げられる。1つは、アスベスト関連の民事責任のリスクが高いこと。2つめは、 緩和戦略に対処する研究が(HEIに認識された規制科学)、 大気汚染の健康への影響に関する基礎研究に対して、組織の主要な強調を損なう可能性である。組織がとった解決策は、Health Effects Institute-Asbestos Research (HEIAR)という新たな企業体を作ること、境界作業の究極の例だった。HEIARの取締役と科学スタッフはHEIの重役によって管理された。研究チームは、このモデルは親会社の責任を制限し、会社をアスベストの規制科学との密接な関連から守るものとして見ていた。
研究科学と規制科学との間の境界を明確にしておくHEIの必要性が、HEIARの起源で重要な役割を果たしたが、派生会社が一度建てられると、明白に境界の研究側に位置しているように、一般大衆に提示した。双方の重役会の議長であるArchibald Coxは、HEIARをかなりの独立し有能な学術団体(scientific body)であり、一般人にとって社会的関心である複雑で物議を醸し出す問題の科学的事実を追求報告する、HEIが承認したほとんどのアプローチを模倣するものだと特徴づける。
Risk Assessment without Politics p.216 政治抜きのリスク評価
規制機関(規制官庁/監督官庁)(regulatory agencies)によって、科学と政策のグレーゾーンにあるリスク評価は、古典的超科学行為をしている。しかし機関時代は、時にこの役目を独立した科学団体に議会の指導のもと委任している。皮肉にも、FDA(アメリカ食品医薬品局)は政府組織内で科学的力量で最もよい評価を得ている政府機関で、おそらく外部の専門家のような用途で幅広い経験を持つ。FDA(アメリカ食品医薬品局)は潜在的に有害薬物と食品添加物を承認する新たに締められた法令実行支援のため、National Academy of Science (全米科学アカデミー【略】NAS,1863年設立。米連邦政府に科学技術の問題に関する助言を行う)とFASEB( アメリカ実験生物学協会
)に変わった。
NAS and Drug Efficacy Review p.217
1962年のFDCAに対するKafauver-Harris Amendments修正の後、FDA(アメリカ食品医薬品局)は約4000の古い1962年前の医薬品は有効性について見直されるべきということになった。当時これを必要とする成文法は存在しなかった。FDAは見直しをするためNAS(全米科学アカデミー)と契約した。 NAS(全米科学アカデミー)は6人ずつ配置の30陪審団を設立、メンバーの多くはNASやNational Research Council(米国学術研究会議)と関係のない者だった。陪審員は有効性を6ポイントの範囲でドラッグを評定するように頼まれました。
陪審員は科学出版物、FDAや業者による情報、個人の判断や経験に頼った。FDAは一般の見直しに関する指導基準を提供したが、陪審員や彼らの評決に、評価基準や手続き上の多くの不一致があった。これでは医薬品の有効性を判断するのに不十分な証拠がそろったということである。しかも、重要な作業は驚くべき早さ、6年間で1968年に完了し、 NAS(全米科学アカデミー)は FDA(アメリカ食品医薬品局)に2800の医薬品有効性見直しに関するレポートを提出した。
アカデミーと掛け合うというFDAの決断は、大きな論争にはならなかったが、審査委員会の推薦を実行しようという政府機関の試みは、すぐに法的困難に直面した。FDAが医薬品の効力に関する実質証拠がないと決断した際、主要の論点は、医薬品承認と市場からの除去に関しての要約書失効だった。製薬業者は、NAS-NRCパネル調査結果に基づいてこのような思い切った行動を取るのは不公平であると主張した。産業のスポークスマンは、政府機関に伝えられた推薦が、すべてのアカデミーや審議会(Council)によって「非-見直し」(未審査)されたこと注目しに、大きな科学的合意より、むしろ6つのメンバーパネルの結論だけ述べていると語った。さらに、データの質と各パネルに配置された時間にから見て、調査結果の多くは、決定的な科学的事実よりも、教育を受けた意見の性質を帯びていることが明確になった。
多くの業者が、FDAが彼らの商品を制限、禁止する前に、ついに大規模な公聴会を求める法的訴訟を起こした。FDAは実質証拠の存在について事実上問題があったときにだけ、公聴会を与えるべきであるという主張で対抗した。FDAが古い医薬品の実質証拠規格をあまりにも狭く定義した、という産業の答弁は法廷を足踏みさせた。裁判官は、医薬品、治療学、科学を泥沼とみなし、明らかにやる気がなかったため、食品と医薬品の弁護士は勝利を感じていた。法廷が自動的に政府機関の専門的技術に従ったため、FDA決定の違憲立法審査権を求めるのは、役に立たずだった。この場合、FDAの判断が専門のNAS-NRCパネルによって支持されたという事実で、服従する者の裁判ケースは、強固になった。
The Review of GRAS Substances p.218
食品添加物の規制において、FDA(アメリカ食品医薬品局)は FASEB( アメリカ実験生物学協会)が行った、NAS-NRC( 全米科学アカデミー研究評議会)が1962年以前に行った評価と似通った評価をたよりにした。
The Public Board of Inquiry p.222
問い合せ公開審査会(PBOI)を試行する米国食品医薬品局(FDA)の実験は、科学的問題を解決する規則作りのメカニズムとして、公 聴会の打破から生じた。評論家は、正式な手続きの長さと非能率を指摘し、敵(相手)の手順が政府機関が国の最前の専門家と相談するこ とも許可せず、また特に科学的問題の解決に合わないと述べた。PBOIは科学者が、より大きなコントロールを科学的決定に 及ぼすことができる、それほど法律尊重主義でない代替手段として発想された。しかし、PBOIは、1987年の時点で使用は2度限り だった。一つは、人工のsweetnerアスパルテームの評価と、一つは避妊を規制するかつてのDepo-Provena の評価だった。アスパルテームに関するPBOIの慎重な分析は、手順がなぜより魅力的であると判明しなかったかを示す。
G.D.サール(アスパルテームのメーカー)は1973年の製品の承認のためにFDAについて陳情した、そして、FDAは 1974年に使用を可能にする規制案を発行したが、安全に関する疑問はジョン・オルニー、ワシントン大学の精神科医、およびジェーム ズ・S.ターナー(消費者保護運動家)によって挙げられた。
FDA特別委員会は、アスパルテームとその他いくつかの製品の試験結果に疑問投げかけるSearlの研究実戦に関する問題を報告した。FDAが甘味料に関するサールのデータの精度と信頼性を評価している間、行政手続は数年間行き詰った。政府機関は、甘 味料に関するサールの12のデータを監査するためにUAREP、病理学者の非営利の共同体と契約した。FDAは、内部で別の3つの研 究を批評して、すべての15が信頼できると結論づけた。
1979年、3人のメンバー委員はSearle, Olney, the Bureau of
Foodsによって提出された指名された人のリストから任命されました。MIT科学者の「過剰-代表」があったため、オルニーは委員 会の構成に反対した、特にbureau of foods directorと数人のsearle科学者の局が同じ学歴を共有したという事実から見て、利害の衝突に転じる可能性があった。
Winder Applications p.226
技術主義(技術系官僚)の意志決定におけるHEIとFDA実験は規制科学討論の文脈でどのように解釈されるべきか?現在の 研究基金と規則の過程を根本的に造り直すのに、この章の事例は十分合理的か?
3つのうちの2では、EPAとHEI、FDAとNAS、そしてFASEB、手続きそして制度上のアレンジメントの使用が、政 府機関に増加する効率とおそらく高められた科学的正当性に利点を与えた、十分な証拠に見える。PBOIケースの手順もまた、純便益 (便益から、そのために必要な費用を差し引いた額)をFDAに提供したが、PBOIケースは、(上記の3つ)よりあいまい。しかし、それぞれのメカニズムは慎重に一般化するための必要性に不備がある。規制科学が生み出そた唯一の専門化した問題、この問題に対応するのにそれぞれが適している、なにも科学をめぐる論争に直面した規制側のための万能薬と見なすことはない。
必修なので、履修イマしてますが、
つぎ自分がSheila Jasanoffの第10章プレゼンになりました。
教科書は英語です。
プレゼンは中国語です、あたりまえか。
でも、すーごく英語がわからないので、
訳せるところを
訳しました。
エキサイト!アルクのウェブに超お世話になりました。
感謝です。
6枚分翻訳して疲れたけど、
なんか、これでおわるのもなとおもい、
なんかくやしいので、ここにのせておこーみたいなかんじです。
自分の日本語おかしいー
ほんとにどこをプレゼンすればよいのか、わかりにくい英語です。
てか私に
ロジックが足りないのです。
訓練せねば。。。
-------------------
A Public-Private Partnership for Science p.209
研究の独立性の確保はtechnocrat技術専門家?(または技術家政治主義者/技術系出身官僚/管理職)のゴールで、あまり議論の的にならない。官僚は、規制者と政治利害団体が科学に関わる政策の産出にあまり影響しないなら、研究の独立性は幅広い関係者に受け入れられるであろうと論じた。しかし、社会的構成主義者の反論が必ずあり、当事者が賭け金に明確な利害関係をかけずに生成した知識は、確実に米国規制の解体圧力に対してもっと抵抗があるだろう。これはケンブリッジのHEI Health Effects Instituteの研究プログラムに基づいた仮説である。HEIはEPAと自動車産業により設立された。 HEIの大気汚染の規制使用のため、政治的中立確立と、科学的に完璧な知識基礎を築き上げる努力は、どんな科学政策改革の議論にも考慮に値する。
HEI’s Peer-Review Process p.210
HEIとはCharles Powersが考案したようなものである。彼はアメリカ国内で、規制科学の正当性を高める規定を2つ提出した。1つは、研究資金の決定が規制過程の反対動力から切り離された場合、科学政策をめぐる論争のレベルが減ること。2つ目に、政府と産業に独自に働く研究支援団体は、規制する当事者のいずれも有効性を疑問視しない高品質な科学を作り出せる。パワーズは1978年から、政府と産業から同等に資金を供給され、提案を検討し、助成金を授与する組織の概念を展開し始めた。彼の目的は、大気汚染物質の健康への影響の情報を国家が最高の供給元になる威信を保証するのに十分な組織を設立することだった。HEIは1980年に設立された。EPAと自動車産業が毎年約6ミリオンドルの財源を出資し、双方には大気汚染制御の分野で大きな儲けとHEIの研究プログラムの成功に共通の関心ができた。しかし、国民との信頼性を確立するために、HEIは金融のスポンサーからの独立を示す必要があった。HEIは2つの科学委員会の援助で独立を示そうとした、1つは研究助成金授与を監督する委員会、1つは研究結果を確認する委員会である。ピアリビュー取得のため、この2つの分岐した制度は、HEIは客観性のある外部の組織であることを説得する、成功する鍵になることを証明した。
HEI’s Peer-Review Process p.210
HEIのHealth Research Committeeには、組織の研究目的、優先順位、授与契約を定義する責任がある。この委員会は一応HEIの共同スポンサーからの推薦を考慮しているが、委員会はスポンサーの要求を光栄には思わない。実は独立に関する早期主張で、理事会と調査委員会は、自分の研究課題をスポンサーによる審査に提出することよりも、EPAと産業とのミーティングから脱退しました。1982年に調査委員会は、自動車の排ガスの人体への影響の科学的理解向上をするプロジェクトにRFAsの発行を開始。図10.1のように、スポンサーと一般大衆からの視点の懇願でRFAsが始まった。調査委員会はそれからやっと科学的知識の重大なギャップを識別し、RFAsの発行を通じて、研究コミュニティに提案を提出してもらう。研究設計と実験手続きprotocols見直しに続いて、委員会はプロジェクトと契約発注先を選ぶ。最初の発注は1983年に行われた。
HEIのもう一つの大黒柱である、評価委員会は1985年に正式に始動した。(組織によって資金を得たプロジェクトが具体的な実験結果を出した最初の年となった。)これは研究委員会から厳格な機能分離を維持し、評価委員会のメンバーは研究設計や評価を要求されている研究行為に関与しない。研究が完了したら、HEIの組織内スタッフによって補助された評価委員会は、研究成果の科学的調査を行い、残りの不確実性を識別し、スポンサーに研究結果を解釈するために、必要に応じて委員会を使用できるようにした。純粋な科学的仲裁者としての評価委員会の役割は、委員会を規制科学の研究の応用可能性に対する評価の分野から除外することであった。
HEI in Operation: The Multi-Center CO Study p.212
HEIの最初の十年間で、最も野心満々の研究は、multi-center一酸化炭素の研究でした。1983年に100万ドル以上の 予測された費用で開始。この調査に資金を提供するかしないかの決定は、一酸化炭素標準設定の歴史によって左右されてきた。Wilbert Aronowによって指摘された健康への影響に関するデータが問題視されたとき、EPAは評判のよい研究者によって行われた同様の研 究は、一酸化炭素露出の心臓血管系作用決定に必要なものだと定めた。Aronowの失敗は、新しく作られたHEIの機能を確認するのに理想的な機会を作りだし、そして、1983年7月にEPAは、一酸化炭素研究を求める正式な要請を出した。HEI の調査委員会はこれを一酸化炭素の正式な研究に対して、即時の政策目標を提出しなければいけないときでさえ、)組織が高品質の科学 を作り出すことを示す機会だとして歓迎した。プロジェクトは以前の失敗を補うように設計され、長所と政治に無関心な知識を形成する組織の欠点を示した。
一酸化炭素プロジェクト起動のため、HEIは調査委員会の3人のメンバーを、2人の心臓内科医、および環境生理学者から構成する小規模ながらも顕著な監視委員会を設立しました。再現性のある結果を得るというEPAの必要性は、通常の研究勧誘の習慣からの脱却を必要とした。監視委員会は何百もの申請要求を研究者に提出した。この非常に構造化された手順の目的は、必要な科学的科学的、非科学的資格を示すことのできる捜査官を選ぶことで、偏見がないことや、利害の抵触と同様に、施設と人間へのアクセスも含まれる。
プロジェクトのために選ばれた3人の実験責任者が、まさにAronow研究を複製することを勧めないと決めた。監視員会、HEIスタッフと密接に働き、3人は、一貫した方法で3つの異なる場所で行える、より厳密な手順を設計するため、大きな難問に直面した。例えば、いかに個々の対象の一酸化炭素吸収率の再現性を確保するか。Multi-centerは各実験的な暴露の際に、同一の一酸化炭素濃度と露出時間を使用する伝統的なコースを断念した。調査官は各対象の摂取速度に応じて一酸化炭素の集中が調節される方法を採用した。これは統計的に、より有力な結果を得られると考えられた方法である。
しかしこのアプローチも相当な障害にぶつかった。確実な手順を作成する過程は、HEIスタッフが予測していたよりも複雑であることが判明した。例えば、摂取速度の均等性を確実にするため、試験的実験実施は必要になった。Jane Warrenによれば、プロジェクトのマーネージャーだが、各患者の一酸化炭素ヘモグロビンを同じレベルにしようという努力は、かなり複雑で、乱暴は領域であり、まさに一酸化炭素レベルを達成しようとしている。この目標を達成するために、たくさんの計画遅延が生じた。このような複雑さが大幅に研究の長さと費用を増加させた。作業は1983年に始まったが、1985年の3月まで最初のテストは行われなかった。1987年の3月には、研究は終わり、69項目がテストされた。HEIは一酸化炭素にもとは$1万ドルの予定が最終的に$2.5万ドルを費やした。
一酸化炭素の品質保証の責任はアーサーリトルADL経営コンサルタントに委任された。ADLは品質保証の一般分野の経験と一酸化炭素実験システムに精通している経験のある組織。調査を通じて、ADLのスタッフは手順に従って、実験が行われていたの確認するために、3カ所すべての実験室を周期的に訪問した。このような監視は決して安価でなく、元ADL職員は品質保証は全体の労働費の10から20%になるのではないかと予測した。
一般にmulticenter研究の中間評価は、プロジェクトの完成が政策に決定的な影響を及ぼすという期待より、むしろ用心深い楽観主義の精神を反映した。実験責任者の一人は、研究の主要な達成とは大気汚染と健康に関する研究の一般レベルを上げることだと示唆した。EPAも、科学特効薬になる、multicenter一酸化炭素研究のために細心の注意を払った研究を一つも予想していなかった。一酸化炭素の標準改正に関して、HEIが後援した研究を含み、EPAは現在進行中の多くの研究に依存する必要があると信じていた。
HEIの第4回年間会議が1987年にあり、実験が計画通り進んでいないことが明らかになった。研究者は、再現性の確実のために適用しなければならなかった厳格な評価基準に合わせたことと、候補患者有効人口を減少させた治療進歩があって、適当な数の患者を見つけるのに苦労した。1989年11月にNew England Journal of Medicineの出版と、調査委員会が行った精密な調査により、一酸化炭素は政治関連か、健康に害があるか、空気質標準に影響するか、研究をする必要があるかについて議論が大きく展開した。研究結果は低濃度の一酸化炭素でも心臓病を煩う患者に危害を加えることが出来るという仮説を立証した。またこの患者は、厳格な基準を正当化する傾向があり、したがって潜在的に業界の利益を害す結果のある患者である。規制政治の制約の中にいる一方で、最先端の科学を産出する政策に影響を及ぼす可能性があるにもかかわらず、研究は挑戦に耐えた。
Implications of the HEI Experience p.214
HEIモデルは、生産及び規制科学を検証する伝統的な方法に取って代わるのか?1986年 General Accounting Office (GAO)米会計検査院による調査は、信頼問題は組織の主要な関心ではないだろうと述べた。61人にインタビューして、HEIは表明 した使命通り、独立を保ち、高品質の研究を行うことに成功したとGAOは表面上認めた。政策についてインタビューされた側 は、いくつかの仕事の関連性についてはあまり楽観的ではない。100個のHEIプロジェクトのランキングで、EPAは44 番目で、低、中低の関連にある。好ましくない評価の大きな原因は、研究が過度の高レベル公開(露出)を行った結果、限られ たリスク評価と以前の研究と不必要に重複した。
HEIスタッフはこの評価は当然の代償だと考えている。研究所(組織)は次第に健康への影響に関する研究の支持が減少するなか、資金 をひきつけ、非常に恵まれていた。同時にHEIの幹部は、multicenter一酸化炭素研究が唯一の評価基準となるのは非現実的であると述べた。規制科学の実用的な世界よりも、HEIの主潮は自分自身のために知識を追求する、このような研究科学用語で説明されるようになった。
GAOレポートはHEIの本質的なジレンマの症状をあらわにした。細心の手順と完全な再製可能性は、研究結果が規制組織(当局)に政策 決定を近づけさせないと、割が良いとは言えなかった。たとえば、一酸化炭素研究では、2.5万ドルは行き過ぎとみなされた、1980 年以来EPAが研究に費やした320万ドルの一部にしかすぎなかったにもかかわらず。
HEIの信頼に対するもっと差し迫った脅威は内外からの圧力である。組織は、研究課題と顧客の名簿の多様化させるために働く。最初の HEIのこれに向けた努力は、組織が調査科学と規制科学の間を目指す高感度てんびんをアピールすることだった。1988年8月、議会はEPAのためにアスベスト調査のための2ミリオンを一部条項を含めた。それは科学の品質とピアリビューの客観性を確立するために、立法者は指定されたHEIによって行われるべきだからだ。EPAの行政の要求で、HEIの取締役会(重役会)は組織がどう議会命令に応じるべきか提言するために研究チームを招集した。研究チームの最初の関心は学術用語でプロジェクトの実行可能性を評価すること、そして研究プランを開発することだったが、審理はHEI制度上のアイデンティティに対するアスベスト研究の可能な影響にも集中した。
研究チームは新しいプロジェクトが、アスベストを公立学校で無くすという不確実性や訴訟があるなか、政治的に反論を招きそうな雰囲気で行われることを認識していた。ここで2つの制度上の問題(institutional issues)が挙げられる。1つは、アスベスト関連の民事責任のリスクが高いこと。2つめは、 緩和戦略に対処する研究が(HEIに認識された規制科学)、 大気汚染の健康への影響に関する基礎研究に対して、組織の主要な強調を損なう可能性である。組織がとった解決策は、Health Effects Institute-Asbestos Research (HEIAR)という新たな企業体を作ること、境界作業の究極の例だった。HEIARの取締役と科学スタッフはHEIの重役によって管理された。研究チームは、このモデルは親会社の責任を制限し、会社をアスベストの規制科学との密接な関連から守るものとして見ていた。
研究科学と規制科学との間の境界を明確にしておくHEIの必要性が、HEIARの起源で重要な役割を果たしたが、派生会社が一度建てられると、明白に境界の研究側に位置しているように、一般大衆に提示した。双方の重役会の議長であるArchibald Coxは、HEIARをかなりの独立し有能な学術団体(scientific body)であり、一般人にとって社会的関心である複雑で物議を醸し出す問題の科学的事実を追求報告する、HEIが承認したほとんどのアプローチを模倣するものだと特徴づける。
Risk Assessment without Politics p.216 政治抜きのリスク評価
規制機関(規制官庁/監督官庁)(regulatory agencies)によって、科学と政策のグレーゾーンにあるリスク評価は、古典的超科学行為をしている。しかし機関時代は、時にこの役目を独立した科学団体に議会の指導のもと委任している。皮肉にも、FDA(アメリカ食品医薬品局)は政府組織内で科学的力量で最もよい評価を得ている政府機関で、おそらく外部の専門家のような用途で幅広い経験を持つ。FDA(アメリカ食品医薬品局)は潜在的に有害薬物と食品添加物を承認する新たに締められた法令実行支援のため、National Academy of Science (全米科学アカデミー【略】NAS,1863年設立。米連邦政府に科学技術の問題に関する助言を行う)とFASEB( アメリカ実験生物学協会
)に変わった。
NAS and Drug Efficacy Review p.217
1962年のFDCAに対するKafauver-Harris Amendments修正の後、FDA(アメリカ食品医薬品局)は約4000の古い1962年前の医薬品は有効性について見直されるべきということになった。当時これを必要とする成文法は存在しなかった。FDAは見直しをするためNAS(全米科学アカデミー)と契約した。 NAS(全米科学アカデミー)は6人ずつ配置の30陪審団を設立、メンバーの多くはNASやNational Research Council(米国学術研究会議)と関係のない者だった。陪審員は有効性を6ポイントの範囲でドラッグを評定するように頼まれました。
陪審員は科学出版物、FDAや業者による情報、個人の判断や経験に頼った。FDAは一般の見直しに関する指導基準を提供したが、陪審員や彼らの評決に、評価基準や手続き上の多くの不一致があった。これでは医薬品の有効性を判断するのに不十分な証拠がそろったということである。しかも、重要な作業は驚くべき早さ、6年間で1968年に完了し、 NAS(全米科学アカデミー)は FDA(アメリカ食品医薬品局)に2800の医薬品有効性見直しに関するレポートを提出した。
アカデミーと掛け合うというFDAの決断は、大きな論争にはならなかったが、審査委員会の推薦を実行しようという政府機関の試みは、すぐに法的困難に直面した。FDAが医薬品の効力に関する実質証拠がないと決断した際、主要の論点は、医薬品承認と市場からの除去に関しての要約書失効だった。製薬業者は、NAS-NRCパネル調査結果に基づいてこのような思い切った行動を取るのは不公平であると主張した。産業のスポークスマンは、政府機関に伝えられた推薦が、すべてのアカデミーや審議会(Council)によって「非-見直し」(未審査)されたこと注目しに、大きな科学的合意より、むしろ6つのメンバーパネルの結論だけ述べていると語った。さらに、データの質と各パネルに配置された時間にから見て、調査結果の多くは、決定的な科学的事実よりも、教育を受けた意見の性質を帯びていることが明確になった。
多くの業者が、FDAが彼らの商品を制限、禁止する前に、ついに大規模な公聴会を求める法的訴訟を起こした。FDAは実質証拠の存在について事実上問題があったときにだけ、公聴会を与えるべきであるという主張で対抗した。FDAが古い医薬品の実質証拠規格をあまりにも狭く定義した、という産業の答弁は法廷を足踏みさせた。裁判官は、医薬品、治療学、科学を泥沼とみなし、明らかにやる気がなかったため、食品と医薬品の弁護士は勝利を感じていた。法廷が自動的に政府機関の専門的技術に従ったため、FDA決定の違憲立法審査権を求めるのは、役に立たずだった。この場合、FDAの判断が専門のNAS-NRCパネルによって支持されたという事実で、服従する者の裁判ケースは、強固になった。
The Review of GRAS Substances p.218
食品添加物の規制において、FDA(アメリカ食品医薬品局)は FASEB( アメリカ実験生物学協会)が行った、NAS-NRC( 全米科学アカデミー研究評議会)が1962年以前に行った評価と似通った評価をたよりにした。
The Public Board of Inquiry p.222
問い合せ公開審査会(PBOI)を試行する米国食品医薬品局(FDA)の実験は、科学的問題を解決する規則作りのメカニズムとして、公 聴会の打破から生じた。評論家は、正式な手続きの長さと非能率を指摘し、敵(相手)の手順が政府機関が国の最前の専門家と相談するこ とも許可せず、また特に科学的問題の解決に合わないと述べた。PBOIは科学者が、より大きなコントロールを科学的決定に 及ぼすことができる、それほど法律尊重主義でない代替手段として発想された。しかし、PBOIは、1987年の時点で使用は2度限り だった。一つは、人工のsweetnerアスパルテームの評価と、一つは避妊を規制するかつてのDepo-Provena の評価だった。アスパルテームに関するPBOIの慎重な分析は、手順がなぜより魅力的であると判明しなかったかを示す。
G.D.サール(アスパルテームのメーカー)は1973年の製品の承認のためにFDAについて陳情した、そして、FDAは 1974年に使用を可能にする規制案を発行したが、安全に関する疑問はジョン・オルニー、ワシントン大学の精神科医、およびジェーム ズ・S.ターナー(消費者保護運動家)によって挙げられた。
FDA特別委員会は、アスパルテームとその他いくつかの製品の試験結果に疑問投げかけるSearlの研究実戦に関する問題を報告した。FDAが甘味料に関するサールのデータの精度と信頼性を評価している間、行政手続は数年間行き詰った。政府機関は、甘 味料に関するサールの12のデータを監査するためにUAREP、病理学者の非営利の共同体と契約した。FDAは、内部で別の3つの研 究を批評して、すべての15が信頼できると結論づけた。
1979年、3人のメンバー委員はSearle, Olney, the Bureau of
Foodsによって提出された指名された人のリストから任命されました。MIT科学者の「過剰-代表」があったため、オルニーは委員 会の構成に反対した、特にbureau of foods directorと数人のsearle科学者の局が同じ学歴を共有したという事実から見て、利害の衝突に転じる可能性があった。
Winder Applications p.226
技術主義(技術系官僚)の意志決定におけるHEIとFDA実験は規制科学討論の文脈でどのように解釈されるべきか?現在の 研究基金と規則の過程を根本的に造り直すのに、この章の事例は十分合理的か?
3つのうちの2では、EPAとHEI、FDAとNAS、そしてFASEB、手続きそして制度上のアレンジメントの使用が、政 府機関に増加する効率とおそらく高められた科学的正当性に利点を与えた、十分な証拠に見える。PBOIケースの手順もまた、純便益 (便益から、そのために必要な費用を差し引いた額)をFDAに提供したが、PBOIケースは、(上記の3つ)よりあいまい。しかし、それぞれのメカニズムは慎重に一般化するための必要性に不備がある。規制科学が生み出そた唯一の専門化した問題、この問題に対応するのにそれぞれが適している、なにも科学をめぐる論争に直面した規制側のための万能薬と見なすことはない。
2010年5月16日 星期日
日本の年金制度
必修である福祉国家のクラスで
日本の年金制度について
プレゼンすることになりました。
グループプレゼンなので、(2人で1組)
相方の優しい台湾人が台湾の部分やってくれます。
恥ずかしいことに
ぜんぜん日本の年金システムわかってません。
とにかくプレゼンのアウトライン作らんと。
1、日本の年金保険制度概要
★全国民共通/強制加入の「基礎年金」=国民年金
被保険者(保険料を支払う人)
①第1号被保険者(自営業者、農業者、学生等)
月額/定額13,300円保険料支払う
②第2号被保険者(サラリーマン、公務員等)
月収/賞与の13.58%保険料支払う
加入する制度による
③第3号被保険者(専業主婦等)
保険料は負担しない
★厚生年金と共済年金とは(サラリーマン、公務員等の被用者)
①第二号被保険者+厚生年金(サラリーマン等に適用)
②第二号被保険者+共済年金(公務員等に適用)
★国民年金の「老齢基礎年金」の受給資格期間(原則25年以上)を
満たした人には、65歳から老齢基礎年金が支給される。
満額は毎年物価スライドにより変更される。
参考資料
公的年金
http://www.i.hosei.ac.jp/~kishimot/sakamoto1.htm
2、日本の年金制度発展史(沿革)
①制度の創成
1942年 労働者年金保険法の発足
1961年 国民年金法の全面施行
②制度の充実
1965年 1万円年金の実現
1969年 2万円年金実現
1973年 物価スライド制の導入(89年に完全自動へ)
③少子化高齢化への対応
1985年 基礎年金の導入
1994年 厚生年金支給開始年齢の引き上げ
2000年 老齢厚生年金の支給開始年齢の引き上げ等給付総額の見直し
2002年 農林強制を厚生年金に統合
2004年 保険料水準固定方式の導入
参考資料
荘村明彦『社会保障入門2009』中央法規出版、2009年、148頁。
3、直面している課題
①年金記録問題
2006年通常国会で民主党により提言
2007年「宙に浮いた年金記録」5095万件発覚
2008年6月から10月「ねんきん特別便配布」
要因
ー事業主による保険料着服
ー事業主による厚生年金の標準報酬月額等の改ざん
ー社会保険事務局員による保険料着服?(事実として無いことになってる)
②年金保険料の未納
要因
ー年金制度への不安(高齢者人口の増加と少子化)
(あとたぶん日本の官僚のいろんな着服への不満)
ー失業者の増加
参考資料
http://nenkin-kiroku.jp/index.html
日本の年金制度について
プレゼンすることになりました。
グループプレゼンなので、(2人で1組)
相方の優しい台湾人が台湾の部分やってくれます。
恥ずかしいことに
ぜんぜん日本の年金システムわかってません。
とにかくプレゼンのアウトライン作らんと。
1、日本の年金保険制度概要
★全国民共通/強制加入の「基礎年金」=国民年金
被保険者(保険料を支払う人)
①第1号被保険者(自営業者、農業者、学生等)
月額/定額13,300円保険料支払う
②第2号被保険者(サラリーマン、公務員等)
月収/賞与の13.58%保険料支払う
加入する制度による
③第3号被保険者(専業主婦等)
保険料は負担しない
★厚生年金と共済年金とは(サラリーマン、公務員等の被用者)
①第二号被保険者+厚生年金(サラリーマン等に適用)
②第二号被保険者+共済年金(公務員等に適用)
★国民年金の「老齢基礎年金」の受給資格期間(原則25年以上)を
満たした人には、65歳から老齢基礎年金が支給される。
満額は毎年物価スライドにより変更される。
参考資料
公的年金
http://www.i.hosei.ac.jp/~kishimot/sakamoto1.htm
2、日本の年金制度発展史(沿革)
①制度の創成
1942年 労働者年金保険法の発足
1961年 国民年金法の全面施行
②制度の充実
1965年 1万円年金の実現
1969年 2万円年金実現
1973年 物価スライド制の導入(89年に完全自動へ)
③少子化高齢化への対応
1985年 基礎年金の導入
1994年 厚生年金支給開始年齢の引き上げ
2000年 老齢厚生年金の支給開始年齢の引き上げ等給付総額の見直し
2002年 農林強制を厚生年金に統合
2004年 保険料水準固定方式の導入
参考資料
荘村明彦『社会保障入門2009』中央法規出版、2009年、148頁。
3、直面している課題
①年金記録問題
2006年通常国会で民主党により提言
2007年「宙に浮いた年金記録」5095万件発覚
2008年6月から10月「ねんきん特別便配布」
要因
ー事業主による保険料着服
ー事業主による厚生年金の標準報酬月額等の改ざん
ー社会保険事務局員による保険料着服?(事実として無いことになってる)
②年金保険料の未納
要因
ー年金制度への不安(高齢者人口の増加と少子化)
(あとたぶん日本の官僚のいろんな着服への不満)
ー失業者の増加
参考資料
http://nenkin-kiroku.jp/index.html
野球の試合中に聞く言葉
野球の応援の仕方って
たぶん、それぞれの国っていうより
学校とかにもよるとおもうのですが、
先週野球試合を見に行ったとき
ピッチャーが
ボールとかなげちゃって
ちょっとやばいときに
「スイぉー」って言ってました
台湾語らしいです。
北京語の漂亮(きれい)の意味らしいです。
ストライクとか決まったら
「好球hao3 qiu2」いいボールだねー
って言って応援してました。
スイぉー
ほんとにぜんぜん最初は意味わかんなかったけど
今解決してよかった!
たぶん、それぞれの国っていうより
学校とかにもよるとおもうのですが、
先週野球試合を見に行ったとき
ピッチャーが
ボールとかなげちゃって
ちょっとやばいときに
「スイぉー」って言ってました
台湾語らしいです。
北京語の漂亮(きれい)の意味らしいです。
ストライクとか決まったら
「好球hao3 qiu2」いいボールだねー
って言って応援してました。
スイぉー
ほんとにぜんぜん最初は意味わかんなかったけど
今解決してよかった!
2010年5月10日 星期一
台湾のSusan Boyleこと林さん(今頃)
わたし、青リンゴは
中国語をやる前は
英語マスターしてーと頑張っておりました。
絶対無理と思い、TOEFLなかなか上がらないし
いまは中国語やってるわけですが、
英語圏のドラマ映画音楽ハリウッドゴシップが好きです。
ずっと
abc振興会を見ていますhttp://abcdane.net/
ここでも、台湾の歌のオーディションで人気になった
24歳の林さんのことが話題になってたので、
今頃ですが、レポートが終わったので、
うちも林さんの歌にはわーおと驚かされたのもあるし、
林さん紹介です。
これは、
おなじ研究室の人たちと見た、台湾のスーザンボイルこと、林育群のニュース。
http://www.youtube.com/watch?v=OyKTaFUOtlwですけど、
台湾で金曜日にサイモンの番組のパクリをやってるんですけど、
楽器屋でバイトしてた林くんが、これに出て、人気になりました。
番組では、小さいおデブ(しゃおぱん)小胖っていわれてます。
171cmの115キロ、24歳です。
このリンクしてるインタビューのなかでは、
体格からスターにはなれないよと、
この星光大道コンテストでもフタッフにいわれ、
家族からも歌手になることを反対され、
歌を続けるなら父親と縁を切れといわれ、
そのときスーザンボイルをみて、
励まされいまに至っているそうです。
あと最後のほうに、つきあったことある?といわれ、
ないですと答えて、じゃ童貞なのっ?といわれ、
そうですと言ってます^^
台湾やっぱ日本より開放的だと感じました。
こういう質問するので、
あとうちがびっくりしたのは
この林さんが
ellenのショーのでてたこと!
これからもがんばれー
台湾のいい子代表みたい
http://www.youtube.com/watch?v=myJuWYw0Xms&feature=related
中国語をやる前は
英語マスターしてーと頑張っておりました。
絶対無理と思い、TOEFLなかなか上がらないし
いまは中国語やってるわけですが、
英語圏のドラマ映画音楽ハリウッドゴシップが好きです。
ずっと
abc振興会を見ていますhttp://abcdane.net/
ここでも、台湾の歌のオーディションで人気になった
24歳の林さんのことが話題になってたので、
今頃ですが、レポートが終わったので、
うちも林さんの歌にはわーおと驚かされたのもあるし、
林さん紹介です。
これは、
おなじ研究室の人たちと見た、台湾のスーザンボイルこと、林育群のニュース。
http://www.youtube.com/watch?v=OyKTaFUOtlwですけど、
台湾で金曜日にサイモンの番組のパクリをやってるんですけど、
楽器屋でバイトしてた林くんが、これに出て、人気になりました。
番組では、小さいおデブ(しゃおぱん)小胖っていわれてます。
171cmの115キロ、24歳です。
このリンクしてるインタビューのなかでは、
体格からスターにはなれないよと、
この星光大道コンテストでもフタッフにいわれ、
家族からも歌手になることを反対され、
歌を続けるなら父親と縁を切れといわれ、
そのときスーザンボイルをみて、
励まされいまに至っているそうです。
あと最後のほうに、つきあったことある?といわれ、
ないですと答えて、じゃ童貞なのっ?といわれ、
そうですと言ってます^^
台湾やっぱ日本より開放的だと感じました。
こういう質問するので、
あとうちがびっくりしたのは
この林さんが
ellenのショーのでてたこと!
これからもがんばれー
台湾のいい子代表みたい
http://www.youtube.com/watch?v=myJuWYw0Xms&feature=related
師範大の夜市
師範大の夜市で
うちの好きなところは
メイン通りのセブンの近くの
燈龍っていう滷味lu3 wei4
です!うまい
いっぱい、いろんな具が陳列してあるんで
好きな具をかごにいれて、ゆでてもらう。
後ろに席があるので、2階建てですが、
中で食べると一人30元飲料買わないとです。
あとは
丸大食堂!
ここの刺身の切り方が
ぶつ切りで厚くて最高です。
日本食が恋しい方ぜひどーぞ!
この食堂はメイン通りじゃないです。(説明しにくい。。。)
欲張らなければ200元で腹一杯になるので、さいこー
やっぱ300元くらいのセットがうまいですが。
このブログ(知らない人、台湾のヤフーで出て来た)にも紹介されてます
http://www.wretch.cc/blog/o961117735/5861164
パソコンMacマックの呼び方
最近、MacBookの白い
パソコンを買いました。
とうとう5年使ってたパソコンが
使えなくなったため。
で、クラストで同級生から
あー
「小白」xiao3 bai2
だーってよく言われます。
そういうふうに言うんですねー
パソコンを買いました。
とうとう5年使ってたパソコンが
使えなくなったため。
で、クラストで同級生から
あー
「小白」xiao3 bai2
だーってよく言われます。
そういうふうに言うんですねー
2010年5月1日 星期六
陽明山から見る夜景
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