2010年4月22日 星期四

フォーディズム

今日授業で
フォーディズム習いました。
中国語は、福特主義だそうですー

アメリカの自動車会社
フォードが始めた
大量生産、大量消費の理論です。
ま、うちらがならうのは
社会に影響してる部分だけですけど、

いっぱいわかんない中国語がでてきたー

いま復習中
授業で内容がいまいちわかんなかった。

でも、あったーー!!日本のネットありがたい!

出てきてくれましたーフォーディズム日本語解説!
この部分ごとに仕事をするよう従業員を分けるフォーディズムは
結果的に、医療機関やその他の企業にも浸透したと
授業でならって、そんなこと知らなくってびっくりーでも納得!

みなさんも、どーぞ!
もとの文章はこっからっす
http://www.geocities.jp/tang_china8/matuou.html

何かものの質を考えるときに需要と供給・量と質とが関係していることがある。情報の質というものを考えるときもそうなのではないかと思う。
とりあえず情報の質というものを考えるのに量のことを考えなければならないだろう。しかし現代、情報は量ではないといわれてきている。ここに大量生産の理念が終焉を迎えようとしている。そこでなぜ大量生産の理念(フォーディズム)が消えつつあるのか調べることにした。


1.フォーディズムとは?
まず、辞書でフォーディズムの定義を調べた。
(1)H=フォードが,大衆車の大量生産・販売を行うにあたって確立した経営理念。企業活動を社会への奉仕ととらえ,消費者に対しては良質の製品を低価格で提供した。また、労働者には可能な限り高賃金を支払い,利潤は企業に内部留保し,外部資本家による,経営の支配を避けるべきとした。
(2)大量生産,大量消費による高成長の経済体制。

 フォードシステム
フォード自動車会社が採用した生産合理化方式。製品の単純化,部品の規格化,生産手段や工場の専門化,コンベヤー-システムの導入などにより,合理的経営を確立しようとするもの。

2.フォーディズムが与えた影響
 世界で初めて、デフレから脱却するために公共事業を行って成功したのは、アドルフ・ヒトラーであると言われている。しかし、そのヒトラーのナチズムは、純粋に独創的な思想ではなく、フォーディズムの模倣といわれているのである。

フォーディズムという言葉は、フォード自動車会社の創設者ヘンリー・フォードの名前に由来している。現在の経済大国アメリカが、イギリスに代わって世界最大の工業国になれたのもフォーディズムのおかげである。
フォーディズムの画期的な側面は、生産効率の上昇に伴う利潤の増大を、労働者賃金の上昇に反映させた点にある。フォードが、労働者に高い賃金を払った背景には、アメリカの特殊事情があった。アメリカでは、広大な土地と豊富な木材資源を安い価格で手に入れることができたので、アメリカの農民はイギリスの農民よりも豊かであった。特に、第1次世界大戦中は、戦場となったヨーロッパへの輸出が好調だったので、農業は儲かるビジネスだった。だから、労働者に農民となることを断念させて、工場で働いてもらうには、高い賃金を払わなければならなかった。そして人件費が高いからこそ、機械化による合理化が求められたのである。

 しかしフォードは高い賃金をいやいや払ったわけではなく、私財の多くを慈善活動に寄付したらしい。フォードは決して私利私欲のために起業したのではなかった。フォードの経営は、今日私たちが「日本的経営」(終身雇用制と年功序列賃金制によって特徴づけられるとされる日本企業の経営方針)と呼んでいるものに近く、株主や銀行家のために利潤を追求するのではなく、消費者に安くて良い製品を提供し、労働者に高い賃金を支払って、社会に奉仕することを経営の目標とした。このため、フォードは、外部資本が経営に介入することがないように、自己金融による経営にこだわったという。

このフォードの経営方針は成功した。高い賃金をもらった労働者たちが、その金でフォードの安価なT型自動車を買ったのである。こうして、労働者の収入が増える→自動車の需要が増える→大量生産により自動車製造のコストが下がる→自動車の価格が下がり、労働者の賃金がさらに増える→自動車がさらに売れるという循環のおかげで、ヨーロッパでは一部の金持ちの贅沢品であった自動車がアメリカでは大衆向けに大量生産される商品となった。自動車が普及すると、郊外に大きな家を建てて都心に勤務するという中産階級のライフスタイルが広まり、マイホームの建設とそこに設置する家電製品の需要が増大した。フォーディズムは家屋、洗濯機、冷蔵庫、電話、ラジオなど他の分野にも取り入れられ、アメリカは世界で最初の大衆消費社会となった。

アメリカがイギリスに先んじて大衆消費社会に移行できたもう一つの原因として、イギリスのように広大な植民地を持っていなかったことを挙げることができる。イギリスは海外に植民地をたくさん持っていたので、国内の労働者の賃金を上げて有効需要を増やす必要がなかった。マルクスが糾弾したように、イギリスの資本家は、イギリスの労働者を徹底的に搾取した。この搾取は一見するとイギリスの資本家に恩恵を与えるかのように見えるが、国内においても植民地においても消費者の大多数を極貧状態に追いやったためにイギリスの工業は衣類のような貧乏人でも買うような製品しか大量生産できない段階で停滞した。植民地はイギリスに繁栄をもたらしたのではなく、没落をもたらしたのである。

 また、フォードは利潤の追求ではなく、社会奉仕を企業の使命と考える理想主義者であった。それだけにユダヤの高利貸しには反感を持っていたようである。著作『国際ユダヤ人』で彼は次のように自分とユダヤの高利貸しを対比させながら、ユダヤ人を批判している。「ユダヤ人の考えは、営業とはすなわち金であるというものだ。やつらが金儲けにとりかかっている間は、理想も何もあったものではない。ただ儲ければよいのである。ゆえに、金儲けの邪魔になるような理想家のたわごとなどには耳を貸さない。ユダヤ人以外は自発的に労働者の待遇改善に努力するが、ユダヤ人は自発的改革によって、決してびた一文たりとも支払うようなことはない」と。フォードは、フォーディズム的な労使の協調を推し進めるために企業間および国民経済間の境界上に存在するユダヤ金融という両義的存在を排除しようとした。

このフォーディズムをドイツに移植しようとした人物がいた。アドルフ・ヒトラーである。フォードは、ナチス党の運動を賞賛し、外国人としては初めてナチスに資金援助をした。一方、ヒトラーもフォードを崇拝し、事務所にフォードの肖像写真を飾っていたという。フォードの『国際ユダヤ人』は、ナチス党員の間で聖典のように読まれ、ナチスの手で数ヶ国語に翻訳されたという。ヒトラーも、『我が闘争』で『国際ユダヤ人』を引用しているのである。

 1929年世界経済恐慌の波がドイツに押し寄せてくると、失業者数は600万近くになり、社会不安を背景に、ナチスが党勢を拡大していった。首相に就任したヒトラーに国民が求めたことは、失業率45%という深刻な雇用問題の解決であった。そして、ここでヒトラーはフォードのまねをした。一方で、高速道路(アウトバーン)の建設という公共事業を行い、他方で、安価な大衆車の大量生産を帝国自動車工業会に命じたのである。ドイツの労働者は、公共事業で職を得、稼いだ金で、T型フォードのドイツ版とも言うべき国民車、フォルクスワーゲン・ビートルを購入した。そして自動車の普及が消費と生産を拡大していった。ドイツの不況は克服され、1939年には失業者数も30万人と激減し、それは当時ヒトラーの奇蹟と呼ばれた。そしてヒトラーは感謝の意を表してフォードに勲章を贈っている。その後、熱狂的な大衆の支持を背景に、ヒトラーがフォードの提起した「ユダヤ人問題」に「最終的解決」を与えることになるのである。
ここにヒトラーのナチズムがフォードのフォーディズム模倣であるという所以があるのであった。ではなぜこのフォーディズムが危機なのか?

3.なぜ終焉を迎えようとしているのか?
20世紀の産業システムの特徴をしめすフォード・システムの大量生産体制が終焉し、21世紀次世代の生産システムである多品種少量生産のフレキシブル生産体制へ移行している。 フォードシステムはコストを最小限に抑える効果をねらう少品種大量生産を行った。これは量産効果を追求した結果在庫コストの増大を招いた。一方日本生産システムは、買い手の欲求に合わせて市場を作っていく多品種小量生産を行い徹底したムダの排除を特徴としている。
 なぜアメリカの大量生産体制=フォーディズムが危機に陥ったかというと、それは大衆消費市場が特定差別化製品市場へと変化したこと、後発国が大量生産体制の技術を取得し低下各製品を提供しはじめたこと、世界規模での資源供給の制約が大量生産体制を困難に陥れたこと、テイラー=フォード・システムの単調反復の単純労働という労働編成が労働者から拒否されはじめたこと、そして日本的生産システムの海外進出などの理由があげられる。


4.これからの情報化社会との価値
世界に大きな影響を与えたフォードとフォーディズムは情報化社会と情報の価値にどんな影響を与えるのか?
(1)情報の性質
まず、情報化社会を考える上には社会の流動性を考える必要がある。
情報とはサービスと違って主観的は要求に応えるものではない。つまり、客観的な把握が必要ということ。これは情報が物量的ではなく、計量的という性質から出てくる。
また、情報は伝達可能なために記号を使うということである。その上、情報はそれだけで価値があるものではなく、そこから何かを作ることによっての価値があるということである。また、情報は公開されると公共財になってしまう。
(2)情報の価値
情報は経済的な役割もしている。経営を効率的にするために情報の氾濫などを防いでいる。また、情報の社会は流動的、物質的はものではないので公共の財になりやすく物質としての価値がなくなりやすい。現在情報の価値が問われているが大量生産に伴う量としての価値ではなく内容としての価値が情報の価値ではないか。また、そのことに関連してドイツのナチスをも魅了したフォーディズムも終焉を迎えたのではないか?と思う。情報はそのものに価値があるのではなく、情報を使って何を成し遂げるかに価値があると思う。それが情報の意味や価値なのではないか。と思う。

参考文献  フォードシステム
       フォーディズムの危機
       情報の価値論

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